山下敦弘 INTERVIEW 後編「パンチパーマの親父」

山下敦弘 INTERVIEW 後編「パンチパーマの親父」

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このように映画に関わり出した山下さんですが、卒業後の進路はどのように考えていたのでしょうか?

「進路相談に行って、漠然と映画が好きでどうしたらいいかと思ってたら、先生が、映画をやりたいのなら、日芸と大阪芸大があるよって、それで、慌てて赤本を買って」

そして大阪芸大へ入学します。学生生活はどうだったのでしょうか?

「最初の1年は流されてました。自分は田舎で育ったんで、学校には面白い人がいっぱいいるわけです。知らない音楽、知らない映画、他にも『イベントやりたいんだけど』とか言う人がいて、イベントってなんだ? ってそれだけでショックでした。とにかく流されて1年経って、何もやってなかったこと気付いて、向井(康介・脚本家)と映画を作り出すんです」

「学校の近くに住んでたの?」

「大学の下にある寮でした。同じところに熊切(和嘉・映画監督)さんも住んでいて、知り合って、映画を手伝ったりしてました。出入りも多くて、うちの寮がたまり場みたいになってました」

「山下さんは映画を作ってたの?」

「向井とか近藤(龍人・カメラマン)くんとかと、16ミリでゾンビ映画作ってました。あとは、熊切さんを手伝ってました。それで2年ぐらいかけて『鬼畜大宴会』(熊切監督)を撮って」

とにかく映画漬けの学園生活、卒業後の進路はどう考えていたのでしょうか。

「卒業制作で『どんてん生活』を撮ったんです。それで熊切さんのつてで、東京の映画の人に観てもらって、自主上映することを決めてたんです。あとは、『ぴあ』のコンペに応募しようかと思ってたら、熊切さんに渡してたものがぴあの人に渡って、コンペではなくて特別上映でやらせてほしいという話になって。それでぴあに応募はできなくて、どうしようかと思ってたら、観てくれた人が紹介してくれて、海外映画祭に行くようになりました」

「なんだか、トントントン拍子で進んでいきますね」

「そこまではトントンなんですけど……そうか、そっからは快進撃です」

「快進撃」

「それで『どんてん生活』で賞をもらうんですよ」

「凄い話題になってましたもんね」

「でも、ユーロスペースで記録を作るくらいコケたんです。まったく客が入らなかった。でも助成金の制度に出したら一千万円もらえたんです。文化庁じゃなくて当時の通産省かな、そこからの助成金で」

「まさしく快進撃だ」

「でも、そのときはナメてました。『どんてん生活』は三百万円弱で作ったから、一千万円あればと余裕だと。それで『ばかのハコ舟』をつくるんですけど、いま思えばものすごい贅沢ですよね」

「そのお金って、振り込まれるの?」

「振り込みかな? あれ、どうだったんだっけ?でも、お金の授与式があって、それが徳間ジャパンで行われて、徳間会長の部屋でケーキと紅茶を飲みながらでした。それで大阪に戻って、そのお金を元に映画を作るんですけど、一千万円では足りなくなって」

「あれまあ」

「今度は文化庁に申請して、また一千万円を貰って、使いたい放題でした。でも、世の中をナメていたんですね」

「そのときはまだ大阪に住んでいたんですか?」

「そうです、バイトしながら」

「バイトはなにを?」

「エロビデオ屋で働いてました。大阪のでんでんタウンというところにある店で。でも撮影で休みが必要だったので、その後は派遣で花王の営業をしてました。洗剤をデパートに運んだり、ぬいぐるみに入ったり」

そんなこんなで、アルバイトをしながらも2003年、『ばかのハコ舟』が公開されます。

山下敦弘 INTERVIEW 後編「パンチパーマの親父」

「東京に来たのは?」

「2005年に『リンダ リンダ リンダ』だから、その前の年に来たのかな」

「そうか、『ばかのハコ舟』の後に『リンダ リンダ リンダ』?」

「その間に『リアリズムの宿』です。で、『くりいむレモン』がありました。順番は『リンダ リンダ リンダ』の話が最初に来て、次に『くりいむレモン』が来たんですけど、そっちを先にやったんです。とにかく、それまで女の子を撮ったことがなかったので、『リンダ リンダ リンダ』を撮るのはちょっとビビってたんですね。だから『くりいむレモン』が練習にもなりました。1週間で撮って」

「まだまだ快進撃は続きますね」

「でも自分が追いついてなかった。正直、『リンダ リンダ リンダ』を作ってるときは恥ずかしかった」

「どうして?」

「ああいうキラキラした映画を撮っているというのが」

「キラキラしているのが違った?」

「なんていうのかな。撮影をやっている最中は凄く楽しかったんです。それまでは男ばかりで、吹雪の中とか、辛いことばかりで、辛いのが映画だと思ってたんです。でも『リンダ リンダ リンダ』は群馬の前橋で合宿して、朝の7時に現場に行って、夕方にホテル戻って、体力も余ってて、女の子とも話をして、楽しかった。けど当時の自分としては、『楽しくていいのか?』『映画ってもっと辛いものじゃないのか』『イライラしながらやってるものなんじゃないか』と思ってたんです」

「寝てません、とか」

「そう。睡眠も性欲もすべて我慢して、研ぎ澄ませてやるもんだと思ってたんです。だから、なんかぬるくないかって思ってました」

「でも公開されたら、世間の評価はぐんぐん上がっていきましたよね」

「『リンダ リンダ リンダ』はいろんな要素があったと思ってるんです。やっぱり企画勝ちなんですよ。女子高生がブルーハーツのコピーバンドをするという。でも最初はそれが一番乗れなかったんです。ブルーハーツのコピーバンドの女子高生ってのが」

「根本ですね」

「根本を疑ってたんです。だから韓国からの留学生を入れることにした」

「あれは山下さんのアイデアなんですね」

「そう、ペ・ドゥナで行きたいといったのは俺なんです。回り道や試行錯誤することで……」

「なにかに抵抗しようと」

「そうなんです。でもフタをあけてみたら、ブルーハーツの楽曲の良さや、バンドの良さ、ストレートな良さもあって」

「そうですよね」

「正直、自分にはプロデューサーの能力がないから、演出しながら、とにかく寒くないものにしなくちゃって思ってました。普通のサクセスや青春モノにしちゃいけないと。いま観ると、どストレートに青春なんですけどね」

「清々しい映画ですもんね」

「そうなんです。でも、そこで、ひねくれが出て、次が」

「『松ヶ根乱射事件』だ」

「このときはカメラマンの人に、絶対に格好良く撮らないでと頼みました。絵になる画は撮らないでくださいと。長野の山で撮影してたから、広大でヌケのいい画が撮れるんだけど、それは止めてくれと。息が詰まるような画にしてくれとお願いしました。いま思うともう少しヌケがよくてもよかったかとも思うんだけど」

「あの詰まる感じは、前作の反動だった」

「そうです。それで、同時期に進んでいたのが『天然コケッコー』でした」

「『天然コケッコー』はヌケてる感じがします。気持ちが爽やかになった」

「あれは、子供たちが素晴らしいから」

「その次は?」

「3年くらい空いて『マイ・バック・ページ』です。2011年の夏公開です」

「これも少し詰まる感じの話だ」

「それで次が『苦役列車』です」

「これまた色々あった映画」

「そうなんです。震災後で、ふわふわしてて、撮れるかどうかもわからなくて、クランクイン1週間前に、撮れることになったんです。それで、俺はツイてるなと。でも出来上がったら原作者と揉めたりして」

「映画はヒットしたんじゃないですか?」

「ヒットはしなかった。その次は、『もらとりあむタマ子』です。あれは、映画という感覚ではなくて、最初はケーブルテレビだったので、その延長みたいな感じでした」

「その頃もまだ、映画を作るときは苦しくなければ駄目だと思っていたんですか」

「いえ、もうストイックではなかった。それから、エレファントカシマシとか乃木坂とかのミュージックビデオがあって、『味園ユニバース』です」

「あれは、食べるシーンが素晴らしかったな」

「でもって『オーバー・フェンス』です」

「素敵な映画ですよね。鈴木常吉さんが素晴らしかった」

「そうですね。それで『ぼくのおじさん』があって、今度の『ハード・コア』です」

毎回、新作が公開されるのが楽しみな山下監督。ヘンテコだけど、人間味があって、骨のある作品を生み出す背景には、山下監督が子供の頃から人間をさりげなく洞察していたからなのかもしれません。とくに川崎時代の山下家の話を聞いていたら、そのヘンテコさは、まるで山下監督の映画のような気がしました。

そして今度の『ハード・コア』、山田孝之さん、佐藤健さん、荒川良々さんといった豪華な出演陣に、原作は、いましろたかしさんの漫画なので、さらにまたヘンテコさ倍増、面白く、人間味のある映画になっていることでしょう。とんでもなく楽しみにしております。

山下敦弘 1976年愛知県生まれ、映画監督。『天然コケッコー』(2005年)で第三十二回報知映画賞・最優秀監督賞受賞。最新作は『ハード・コア』、山田孝之と佐藤健が兄弟役を演じ、コミック「ハード・コア 平成地獄ブラザーズ」の実写映画

戌井昭人 1971年東京生まれ。作家、パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」の旗揚げに参加、脚本を担当。『鮒のためいき』で小説家デビュー、2013年『すっぽん心中』で第四十回川端康成文学賞、16年『のろい男 俳優・亀岡拓次』で第三十八回野間文芸新人賞を受賞。最新刊は『ゼンマイ』

 
 
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