大竹聡 INTERVIEW 後編「たんたんと今日もどこかの街で」

SWITCH INTERVIEW ――大竹聡「たんたんと今日もどこかの街で」~後編~
写真 浅田政志

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「高校は?」

「国立高校というところに通って」

「国立高校っていったら名門ですよね」

「でも自由な学校でね、オートバイで通学できるし、私服だし、朝は出席をとらない。だから、朝一の授業は行っても行かなくてもよかった。それに雨になると来ない先生とかいたな」

「大竹さんは、電車で通ってたんですか?」

「そう、三鷹から電車に乗って」

「部活は?」

「サッカー部に入りました」

「じゃあ、サッカー、ギター、エロ本ですね」

「エロ本は、当時、そうだな、昼は銀紙で見えなくて、夜になると表紙が見える自動販売機で売ってたやつ、アリス出版のを、なけなしの小遣いで買いに行ってたくらいかな。結構エグい内容だった」

「サッカーの方は?」

「真面目にやろうと思ったんだけど、高校から始めても、あまり上手くならないんですよ。やっぱ中学からやってた奴等にはかなわない。ちょっとナメてたんですね」

「勉強は」

「勉強はね、中学までは、一番良い高校に入れる成績があったけれど、入ってみたら、みんなそういう奴なんです。よく頑張る、真面目な子が集まってる学校でした。でも、のんびりしてて、先生も一切干渉してこないから、授業も自分で決めてとって良かったから、大学生みたいな高校生だったな」

「じゃあ空いた時間に、趣味の活動を」

「そうですね」

「趣味はなにを?」

「麻雀くらいかな」

「雀荘通いですか?」

「してましたね。国立は、一橋大学とかあったから、雀荘は賑わってました」

「酒の方は?」

「酒はね、『飲みにいこうぜ』といった感じの豪快な奴はいなかったけど」

「じゃあ、まだ酒には手を出してなかった」

「僕は、家でね、ジンとライムを買ってきて『海流のなかの島々』だ、ヘミングウェイだとかなんとかいって、こーんなでっかいグラスに作って、2杯飲んだら倒れちゃった。そこで、ダメだアメリカ人にはなれない、あんなマッチョな文学は読んでもダメだって思ったな」

「じゃあ、まだ本を読んで酒に憧れる感じだった」

「そんな感じですね、小説家の外れっぷりみたいなのに憧れてたんですよ。父がいなくなったという家庭環境もあって、自分は特別だと思いたかったのもあったんでしょう」

「高校卒業後は?」

「浪人をするんだけど、5月くらいで予備校に行くのをやめてしまって、武蔵境のジャンボってパチンコ屋にずっといました」

「勉強はしてない」

「家の近くに兄貴が部屋を借りてて、兄貴がそこを出たんで、そのまま僕が使ってたんだけど、パチンコに行って、戻ってきたら、酒を飲んで、小説読んで」

「ずいぶんな予備校生ですね」

「そうなんだね。それで受かったのが、早稲田の第二文学部だった」

「第二文学部だと夜に学校ですか?」

「そうです。でも行ったり行かなかったり」

「サークル活動とかは」

「やらなかった。最初は、役者をやりたいと思ってたんです。それで二文を選んだんです」

「昼間は動けると」

「はい。大学の劇団を観るんだけど、俺には合わないと思って、それで夢の遊民社を観に行ったら、これは面白いと思って、オーディションの書類を取り寄せたんです。そうしたら、一次試験で、レオタードを持ってくるように書いてあって、試験にダンスがあったんですね。で、こりゃダメだと思って」

「裏方とかをやる気もなかった?」

「はい、大道具とかをやって芝居に打ち込みたいという気持ちはなかったんです。そのくらいいい加減な奴だったんだな。で、まあいいやと、そこでまた麻雀をやったりしてました」

「あれま」

「でも1人でいることを持て余すようになって、ノイローゼみたいになっちゃったんです。そこで、安定剤を飲んでウイスキーをガブ飲みしてっていうのが、始まりかな」

「アルコールの人生」

「突入ですね」

「それは大学2年くらいですか?」

「そうです。それまでも、ビールを飲んだり、ヘミングウェイの真似して飲んだりしてましたけど、でも、もう飲まずにいられないみたくなっちゃったんです」

「半分アル中みたいな」

「ウィスキーをギュっと入れると、ホッとするんすよ。でも体質的には、まだ酒に強くないから、2杯飲めばもう、がっつり眠れちゃうんです。でも3時間くらいで、ビッと起きちゃたりして」

「それで、また飲んじゃう」

「はい。でも、これはダメだと思って。身体を動かす仕事をしようと思いました。そこは二部だったから良かった。朝から工場行って働いてました。そうしたら、たちまち治りました」

「なんの工場で働いてたんですか?」

「印刷です。そこで、荷物運びをやったり」

現在もお酒を飲む大竹さんでしたが、そこで立ち直らずにいたことを考えると、なんだか恐ろしい。

SWITCH INTERVIEW ――大竹聡「たんたんと今日もどこかの街で」~後編~
写真 浅田政志

「それでその後は、新宿の出版社のアルバイトに行くんです。でも、出版の世界の先輩は、インテリで、いろいろ飲みに連れてってもらったんだけど、『お前、そんなことも知らねえのか』と言われたりして、なんだかスカしてるんですよ、それがちょっと気に食わなかったりして」

「その後も、そこでアルバイトを?」

「それから求人広告のセールスのアルバイト行ったりしてました。それで、その会社が作った情報誌で、編集の勉強させてもらったり、おつかいのようなことをやってました。それが結構楽しかった」

「バブルの頃ですか?」

「バブルの前です。でも世の中の学生は、世間を舐めまくってた感じですね」

「で、いよいよ大学卒業で、就職ですね」

「そこで出版社をいくつも受けるんですけど、受からなくて、そしたら新聞広告で、思潮社の募集を見つけたんです。経験者募集ということだったんだけど、アルバイトで昼間に出版や広告で働いていたので、これを経験者としてみなしてほしいと、偉そうなこと書いて、長大な作文を社長宛に書いたら、合格しちゃったんです」

「思潮社は『現代詩手帖』?」

「そうです。でも詩と批評ですから、こりゃわかんねえぞ、と。読んでもわからなくて、7カ月で辞めました」

「あれま」

「それから、大学生の頃、お世話になってた、求人広告の会社が、だんだん大きくなっていて、自分は営業で走りまわるくらいがいいんじゃないかと思って、で、求人のセールスマンにしてもらった」

遊びで走りまわっていた大竹さん、今度は仕事で走りまわるようになります。

「お酒は?」

「まあ、上司や同僚と飲むくらいだったかな」

「そこらへんからバブル期ですか?」

「そうです。でも世間はバブルだったけど、自分は忙しかっただけで、金を儲けた記憶はないです」

「走りまわっていただけで」

「その会社に5年くらいたんだけど、小さな会社ですからね、課長とかいう役職を貰っちゃって、そしたら人を採用したり、『目標持ってください』とか言われちゃってね、上は2人で、部下9人。でも自分は、人に使われるのも、人を使うのも嫌になってしまって、こんなことやっててもちっとも面白くないと思ってね、辞めちゃうんです。まったく、ひどいですよ、いまの若者に合わせる顔がないです」

「それで会社辞めてからは」

「新宿の出版社でアルバイトしてたときの先輩が、フリーランスで、旅行ガイドの下請けなどをやってたんですよ。その先輩に酒場でバッタリ会って、会社を辞める話をしたら、仕事をまわしてくれて、そこから編集のイロハを1年弱教えてもらいました、でも自分は、フリーの編集者じゃ食えないと思った。企画も人脈も、それに素養もないんですから。そこで、ライターになるかしかないなと思ったんです。それまで飛び込みの営業をやってきたから、知らない人のところに、ピンポンって行って、話を訊くのとかも苦にならなかったんですね」

「ライターはどんな仕事をしてたんですか?」

「旅行記事とか男性誌の読み物記事、パソコン雑誌も書きました」

「なんでもですね」

「でも芸能と政治は書いたことないですけど、それ以外は」

「そこから、自分で雑誌を作るんですか?『酒とつまみ』?」

「いや、そこから、まだ10年くらいかかるんです」

ライターをやり続けていた大竹さん。しかしフリーランスの集まっていた事務所だからこその利点がありました。

「事務所は、フリーランスの人が集まっていたから、メンバーが変わったりしてたんだけど、ある時期、そのときのメンツで何かやろうとなったんです。それで考えてみたら、デザイナーもいるし、カメラマンもいるし、ライターもいるから、これならミニコミを作れるぞとなったんです。それで最初に、中島らもさんがインタビューを受けてくれて」

「『酒とつまみ』だ!」

「そうです。創刊号が届いたときは、嬉しくて、今度は売りに行こうってっなって」

「営業ですね」

「飲み屋とかまわって、読んでくれた人に、『面白い』と言われたら、また嬉しくなってね」

「そこで大竹さんも、自分の好きなことを書くように」

「そうなんだけど、今までは、注文を受けて書いてたでしょ、でも、何もないところから書くということに、最初は緊張したな。それで『面白い』と言われると、これまた嬉しくて」

その後、好評の「酒とつまみ」は号を重ねていきます。

「でも、どんどん貧乏になるんですよ」

このようにおっしゃる大竹さんですが「酒とつまみ」を読んで、大竹聡さんというユニークな人間がいると知った人は多いはずです。

最後に書くことの魅力を語ってくれました。

「単行本のための書き下ろしもあるけど、雑誌に発表できるというのは、他の記事に自分の記事が挟み込まれるという醍醐味があるんです。そこで他の人と比べられるのが楽しい。それと、雑誌は寝転がって、酒を飲んだりしながら読むでしょ、そこで読んだ人が、頭に一箇所でも入るところがあればいいんです。後で、アレなんだっけ?とか、面白かったけど思い出せないな、というくらいでいい。そんな記事を書ければいいなと思ってます」

紆余曲折ありながら、純粋に書くという行為を楽しみ、そして飲むという行為を楽しんでいる大竹さん。「エロ本、ギター、野球のグローブ」から「雑誌、酒、ペン」になったのかもしれません。

ちなみに『多摩川飲み下り』の後に出版された、『こだま酒場紀行』も最高です。この本は、新幹線こだまの停車駅を一つ一つ降りて、酒場に繰り出すといったものです。

今日もどこかの街で、酒を飲んでいる大竹さんを想像すると、こちらも酒を飲みたくなるのでした。

大竹聡 1963年東京生まれ。早稲田大学卒業後、出版社、広告代理店、編集プロダクションなどを経てフリーライターに。2002年仲間と共にミニコミ誌「酒とつまみ」を創刊。主な著書に『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』『酒呑まれ』『下町酒場ぶらりぶらり』『ぜんぜん酔ってません』『レモンサワー』『多摩川飲み下り』『こだま酒場紀行』がある

戌井昭人 1971年東京生まれ 作家、パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」の旗揚げに参加、脚本を担当。『鮒のためいき』で小説家デビュー、2013年『すっぽん心中』で第四十回川端康成文学賞、16年『のろい男 俳優・亀岡拓次』で第三十八回野間文芸新人賞を受賞。最新刊は『ゼンマイ』


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