インタビュー、紀行文、出会った人々。
SWITCH・Coyote編集長 新井敏記が
一つひとつ綴っていきます。
 

2024.1.20 「清潔でかけがえのないところ」

THE TOKYO TOILET、通称TTTという渋谷の17カ所の公共トイレを物語の軸とした役所広司主演の映画『PERFECT DAYS』(監督ヴィム・ヴェンダース)が、現在公開されている。11月小誌の特集でも映画の内容を公開に先駆けて紹介していった。木のように揺れて木漏れ日のように静かな一人の清掃員の生き方を通して、ヴェンダースは日々を大切にして生きる尊さを伝えている。映画のきっかけはTTTの推進者である柳井康治の、この17カ所の公共トイレを利用者にもっと知ってほしい、そして公共トイレの使い方をもっと考えてほしいという切実な願いだった。リノベーションしたものの、備品は壊され、使い方も荒く汚されていく。清潔、安心、安全とは何か、利用者に知ってほしいという思いから映画は生まれた。TTTの立ち上げ当初からスイッチは写真家森山大道とともにその記録を残していくために参加した。森山は約3年半にわたってTTTの17カ所の公共トイレ完成までを写真に収め、写真集として刊行していった。森山がTTTを撮る理由は明解だ。「街でスナップを撮り続けてきた自分が一番公共トイレにお世話になっている。その恩返しの思いを込める」と、彼は言う。

TTTでは1年365日休まず、1日3回の清掃が行われる。記事の制作過程でトイレ清掃員の方に密着したことがある。乾式、温式、ブラッシングなどの作業をはじめ、水あか、黒ずみ、黄ばみの除去作業も行う。全て手作業だった。毎日の作業に頭が下がる。TTTに参加して意識が変わったのは何よりも自分かもしれないと思った。公共トイレの清掃員の方を見つけると、足を止めて「ありがとうございます」と声をかけるようになった。

昨年、TTTはミラノサローネに参加した。ミラノのドゥオーモの地下鉄駅の中央改札付近の公共トイレをリノベーションして、壁には森山大道の写真を展示した。当初、トイレの管理人は半信半疑だった。完成初日、利用者はウォシュレットに馴染みがないのか、水が溢れるなどのトラブルもあった。その時の管理人の迷惑そうな顔は忘れられない。でも翌日の夕方、管理人に笑顔でこう声をかけられた。

「今まで利用者からありがとうと言われたことがないのに、今日だけで何人もの人に声をかけられた」

管理人はこう言葉を続けた。「だからあなたたちに私からありがとうと言うわね」

清潔さと安心さ。利用者のなかには、この地下鉄改札近くに公共トイレがあったことすら知らなかったという人もいたという。TTTが、日本が世界に誇るべきプロジェクトになった瞬間だった。

スイッチ編集長 新井敏記