冨永昌敬 INTERVIEW 前編「ダイナマイト心中」

SWITCH INTERVIEW ――冨永昌敬「ダイナマイト心中」 ~前編~
写真 浅田政志

冨永昌敬監督の映画、『素敵なダイナマイトスキャンダル』が公開されます。わたしはこの作品に、少しだけ出演させてもらっているのです。『素敵なダイナマイトスキャンダル』は、末井昭さんの自伝本が原作で、末井昭さんといえば、若き日の荒木経惟さんが活躍していた伝説の雑誌、『写真時代』の編集長でした。この雑誌、あまりにも過激だったため、いろいろと大変なことがあり、映画には、そのような場面もたくさん出てきます。さらに末井さんが子供の頃、お母さんが、ダイナマイトで心中したことから、このような題名になっているのですが、そこからもう強烈なのです。

わたしは若い頃に、この本を読んでいたので、映画になると聞いたときは嬉しくて、さらに監督が冨永昌敬さんということで、こりゃ楽しみだと思っていたら、自分も出ることになったのです。それでもって、冨永さんが、『素敵なダイナマイトスキャンダル』を映画にしたいと、原作者の末井さんに話をしたのは、数年前、わたしが、末井さんと南伸坊さんと秋山道男さんで、なにやらヘンテコなトークショーをしたときだったらしいのです。

そんなこんなで、何の縁だか、よくわからないけれど、誘ってくださりありがとうございます。そして、映画完成おめでとうございます。わたしは、冨永監督の『ローリング』という作品がとても好きなのですが、冨永監督の作品は、どこか抜けているようだけど、社会をジッと見据えているような感じがするのですが、そのような作風は、今回も生かされているのではないかと思います。では、どのようにして、このような作風になったのか? そして冨永さんが、どのような感じで育ち、映画を作るようになったのか、訊いてみたいと思います。
(戌井昭人・記)

「冨永さんが生まれたのはどこでしょう?」

「愛媛県の山奥です。いまは合併して内子町というところになってます。大江健三郎さんが生まれたのが同じ内子の大瀬なんですけど、ぼくの家は、さらに奥へ行きます」

「山間部なんですか?」

「でも、中途半端な高さの山ばかりで、強いていえば、四国なのにスキー場があるってところです」

「名産は?」

「椎茸があります。それで、その椎茸の出汁のうどんがあるんですけど、あんまり美味くないんだな」

なんだか、いろいろボヤけているような町なのかと思っていたら、内子町で大きな川の蟹を食べたことがあると、スイッチ編集長の新井さんが話します。かぼちゃと茹でてで臭みを抜いて食べるのだとか、「おいしかったですよ」と新井さん。冨永さんが言うには、そのカニは、ツガニというものらしいのです。美味そうだな、ツガニ。

「じゃあ、山や川で遊びまわってた感じですかね」

「小魚釣ったり、泳いだりしてました。とにかく、それしかなかった」

「冨永さんの実家は、どんな商売してたんですか?」

「旅館だったんです。泊まるのはお線路の人か、昭和の頃に計画されてまだ終わっていない工事があって、その工事をしに来た人たちです」

「いまも営業してるんですね」

「はい。でも部屋数は少ないので、ひとつの業種では食えないから、うちの父は以前、スナックをやっていました。でも、もう閉めて、いまは弟夫婦が、近所でうどん屋をやってます」

「椎茸出汁の?」

「いえ、弟は讃岐に修行に行ったので、そのようなうどんを出してます」

旅館が実家というのは、なんだかワクワクしそうな感じもしますが、冨永さんの場合は、どうも違ったらしい。

「子供の頃は、泊まりにくる人たちを見ながら育ったわけですよね。毎日、いろんな人に会えて刺激がありそうな感じがしますが」

「まあ、いま思うと面白い環境だったのかもしれないけれど、当時は嫌でした。旅館は建て増しをしてて、一番古い部屋は、明治の頃。だから、ちょっと建てつけが悪くて、そこに、工事の人や、お遍路さんの人が泊まっていました。それで、旅館の敷地内にスナックがあって、その上が宴会場なんです。町の人が二階で宴会してて、スナックでは、担任の先生がカラオケを歌ってるんです。さらに、たまに酔った担任が部屋に上がってくるんです。それで居間でテレビを見てたら、『勉強せんか!』ってベロベロな状態で言われて」

「多感な時期に、まわりがガヤガヤですね」

「本当に嫌だったなぁ。でもね、町がだんだんさびれてきて、客も少なくなってきたんです」

「さびれていく様子を見るのは、さみしくなかったですか?」

「いや、ぼくにとっては良かった。過ごしやすくなっていったんです」

SWITCH INTERVIEW ――冨永昌敬「ダイナマイト心中」 ~前編~
写真 浅田政志

「どうしてさびれていったんですか?」

「決定的だったのは平成の大合併です。ぼくの住んでいた所は、隣の内子町に入れてもらったんですけど、向こうは立派な町なんで、うちの方の客商売は全滅です。役場とか農協の人の飲み会は、そっちの方に流れていっちゃったんです」

「じゃあ、お遍路さんくらい」

「お遍路さんは、ちょいちょいブームがあるんですね。それで若い人が、よく郵便局の駐車場で寝てたりしてるんですけど、そうすると父が『うち空いてるから泊まっていいよ』とタダで泊まらせたりしてました」

「お父さん優しい」

「それで、泊まってる人たちが風呂に行くルートの廊下があって、その途中に俺の部屋があったんですよ」

「覗かれたり?」

「覗かれはしなかったけど、客の声とか聞こえてきて」

「夜の営みとか」

「いや、それはなかった。うちの旅館では、営む気になんかならなかったと思いますよ」

「どうして」

「まったく風情がない、本当に飯場みたいな宿だったので、それよりも喧嘩の声とか聞こえてきました。道路工事のおっさん同士の喧嘩で、仲間外れにされたおじさんが所在無く廊下で立っていたりすると、父が仲裁してました」

「優しいですねお父さん」

「まあ廊下で寝られたりしても困るからなんだろうけど」

なんだか自分としては、しっくりこないと感じていた環境で育った冨永さん、中学生になります。

「地元に劇場はないし、民放も二局しか映らなかったんで、中学のときに衛星放送が開局するまでは、あんまり映画を見ていなかったですね。録画できるのがスナックに置いてた小さいテレビデオしかなくて、営業が終わった深夜、客が食い散らかしたツマミとか食いながら、カウンターに座って観てました」

絵になるような、映画になるような光景ですが、当時の冨永さんは、それも嫌でしょうがなかった。

「部活は?」

「野球でした」

「まじめにやってましたか?」

「頑張ってたつもりなんですけど。そのくらいから、部活を頑張ってもなと思ってました。それよりも地元を出たかった。それで、勉強出来る子供は地元を出て、松山市内の高校に通って寮に入ったりするんですよ」

「じゃあ勉強を頑張ろうと」

「はい。それで高校は、松山の高校に行くことになるんです」

「良かったですね。寮ですか」

「母の実家が松山にあったので、そこに下宿して学校に通いました。でも誤算だったのが、母の実家は土建屋なので、やっぱりいつも他人がいるんです。大工とか鳶とか、多感な時期の男子にはリアルすぎる人々ですよね。実家にいたときとほぼ同じですよ。自分の部屋は事務所の2階で、住み込みの職人さんが使ってた部屋でした」

これまた、なんともいえない環境です。

「でも、一応、地元を脱出できたから」

「いや、恥ずかしい話なんですが、進学した高校は、1年持たなかったんです」

「せっかく勉強して入学した松山の生活なのに」

「はい」

「どうしてですか?」

「人間関係で失敗しました」

「なにがあったんですか?」

「つるんでた連中がちょっと不良っぽいやつらで、馴染もうと努力したんですけど、もともと山奥で平穏に生きてきた人間なので、だんだん距離を置くようになったんです」

「それでシメられた」

「だから一学期だけ最高に楽しくて、二学期からイジメられるようになって、三学期はほぼ登校拒否でした。そのときのクラスメイトだった女子と、年末に久しぶりに会ったんですけど、やっぱり傍目にも挙動不審だったみたいです。で、結局2年生から地元の高校に転校しました」

「また実家ですか?」

「そうなんです。地元の高校は200人しか生徒がいなくて、規則で全員運動部に入らなきゃいけないからソフトボール部に」

「都会に出たつもりが、また田舎に戻ってしまった」

「はい、恥ずかしかったですね」

「それでもやはり地元を出たい気持ちはあるんですよね」

「そうです。でも、その高校は大学進学する人が少なくて、ほぼ商業高校みたいなものでした。だから大学進学というリアリティがないんです。自分の偏差値もよくわかってないくらいで」

「でも、地元は出なくてはならない」

「なんとなく京都に行きたかったんですけど、関西は四国の人がいっぱいいるから、知ってる人に会っちゃうような気がして、東京の大学を受験しました」

「そのとき日大の芸術は受けたんですか?」(冨永さんは日大芸術学部の映画学科卒業)

「いや、そのときは受けてないんです、映画の世界に行こうなんて思ってもいなかったから」

「そうなんですか」

「ある大学に入学したんですけど、せっかく東京に出たのに校舎がすごい山奥にあって」

「都会じゃなかった」

「そのショックが強烈で、なんで自分がそこにいるのかわからなくなって、それからはバイトしながら仮面浪人ですね」

「そのとき住んでいたのは?」

「立川です。で、その浪人時代に、レンタルビデオでまた映画を観るようになったんです」

後編へつづく


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