ISSEY MIYAKE GINZA / 442 未来を思考する服と空間

2023年2月、銀座にイッセイ ミヤケの新たな店舗 「ISSEY MIYAKE GINZA / 442」が誕生した。空間デザインは、これまで同ブランドの店舗内装を数多く手掛けてきた吉岡徳仁によるもの。シンプルでありながら、常にデザインを革新し続けるイッセイ ミヤケの服。その魅力を最大限に引き出した空間とは一体どのようなものなのだろうか

PHOTOGRAPHY: KATO JUNPEI
TEXT: UCHIDA MASAKI

 

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大きなガラス窓から陽の光が差し込む開放的な店内。同じく銀座にある既存店の「ISSEY MIYAKE / 445」と合わせると、この2店舗でイッセイ ミヤケの全ブランドが勢揃いする。地下1階の「ISSEY MIYAKE WATCH」では、吉岡徳仁がデザインした“O”シリーズや“TO”シリーズの腕時計を購入することができる。ガラスやアルミの質感を存分に生かしたこれらのアイテムからも、素材に対する吉岡の一貫したこだわりが窺える

INTERVIEW 吉岡徳仁
根源的なデザイン

ISSEY MIYAKE GINZA / 442の空間デザインを手掛けたのはデザイナー/アーティストの吉岡徳仁。イッセイ ミヤケというブランドの特異性を彼はいかにして総面積450平方メートルの空間に反映させたのか

 

空中を浮遊する衣服。
空間を突き抜ける帯状のアルミニウムウォール。
未来的なイメージを表現したこの空間は、イッセイミヤケの
革新的な服作りとフィロソフィーを表している。
まるで衣服が空中に浮遊するように、
帯状にはりめぐらされたアルミニウムウォールが
空間を突き抜けるようなデザイン。
環境に配慮されたリサイクルアルミニウムを特殊な
製造技術で成形することによりデザインされたこの空間は、
ミニマムでありながらも造形的で
未来を感じさせる空間を生み出している。
—— 吉岡徳仁

 

 

未来感とフィロソフィー

白を基調とするシンプルな空間にカラフルな洋服が整然と浮遊している。ガラス窓から射す自然光の明るさと温度が心地良い。

「光は重要な要素でした。そしてカラフルな服とは対象的なモノトーンによってタイムレスな空間をデザインしました」

そう語ると彼はゆっくりと店内を見回す。2月3日、東京都中央区銀座4-4-2にISSEY MIYAKE GINZA / 442がオープンした。同社にとって銀座2店舗目のこの新店舗には、地下1階から地上3階までの4フロアにイッセイ ミヤケの10のブランドやプロジェクトがラインナップされている。この空間デザインを手掛けたのが吉岡徳仁である。

「建築についてはプランニングから参加してデザインの監修を行いました。空間については、可能な限りゆとりのある天井高を確保し、鏡の配置によって視界を拡散させることで実際の面積よりも広さや奥行きが感じられる空間作りを心掛けました」

内装のなかでも特に目を引く一つが、浮遊しているかのように映るアルミニウムウォールだ。

「内装構造の一部であり、ハンガーラックでもあるというファンクショナルな壁です。全てのハンガーとハンガーラックは2カ所の接点で触れ合っていて、ハンガーをかけると洋服が自然と正面を向く構造になっています。またハンガーの先を隠すことで日除けの機能を備えつつ服の軽やかさも表現しています。イッセイ ミヤケというブランドが持つ未来感とフィロソフィーを反映させました」

吉岡は2020年の東京オリンピック・パラリンピックにおいて聖火リレーのトーチをデザインしている。その際に用いた押出成形によるアルミの加工技術が今回のアルミニウムウォールの制作にも取り入れられている。 

「一般的に押出成形とは軽量な構造部品の制作に用いる技術ですが、今回の『構造体そのものがデザイン』というイメージを具現化するために使いました。僕は技術的なアプローチが好きなので、デザインも表層的なものよりも技術的な変革から生じるものを好むし、そうしたデザインが世の中において変革を生み出す過程にも興味がある。コロナ禍を経て、ある意味、価値観が整理された今、デザインも表層的な観点よりも根源的なそれに意識を払うことが重要だと僕は考えます。その観点から、この店舗も、まるで昔からそこにあったかのようなインダストリアルな空間デザインを目指しました。その方が一生さんに似合うと思ったので」

50年以上に渡って日本のファッション界をリードし続けてきたファッションデザイナー・三宅一生がこの世を去ったのは昨年8月のことだった。

「この店舗のプランニングがスタートしたのは2020年頃でしたが、その後、コロナ禍に。ここは生前の一生さんがプランニングを確認された最後の店舗となりました」

三宅一生から継承する精神

吉岡は1986年に桑沢デザイン研究所を卒業するとインテリアデザイナーの倉俣史朗に師事。その後、倉俣と親交のあった三宅のもとでイッセイ ミヤケの空間デザインやパリコレクションにおけるアクセサリーのデザインに携わった。なかでも1992年のパリコレクションで手掛けた透明な帽子は世界中を大いに驚かせた。

「一生さんは考え方が極めて丸い人。固定概念を持たず、全方位でものを見て全方位で発信する。『こっちもいいけどこっちから見たらどうなる?』と常に柔軟な視点でものづくりをされていました」

そんな三宅の口癖は「面白いもの」だったと吉岡は言う。

「いつも面白いものを探しては興味を寄せていらっしゃいました。だからご一緒していた当時は結果の良し悪しにかかわらず、まず必ず新しい何かを提示して、とにかく一生さんに驚いてもらうのが僕の使命でしたね」

2000年の独立以降、数々の工業デザインや現代アートの作品を手掛けてきた吉岡が「いま三宅のクリエイションから継承する思いとは何か?」。この問いに彼は「実験と挑戦の精神」と答えた。

「そこに一生さんらしさがあったと思うし、その喜びを僕も一生さんから学びました」

最後に「都市とデザインの関係性とその未来について」を問うと、吉岡はこう話を結んだ。

「都市の未来に対して個人的な理想像は特に抱いていませんが、世界的な傾向としては情報も建築も教育もよりフラットな傾向に向かっていると言えるでしょう。AIから価値観や嗜好性の軸が与えられる現代、未来はどうなるのか?今後の数年はその変革期になると思いますが、作る前にわくわくしないものは出来上がってもわくわくしない。クリエイションは挑戦によって何倍も面白くなる。この精神を忘れずに、今後もデザインに取り組んでいこうと思います」

 
吉岡徳仁 1967年生まれ。倉俣史朗、三宅一生のもとでデザインを学び、2000年吉岡徳仁デザイン事務所を設立。デザインや建築、現代美術の領域において活動。近年の代表作には東京2020オリンピックの桜の聖火リレートーチなどがある