FROM EDITORS「最後の映画」

最愛の人を病気で亡くす、その方が両親のうちどちらかだとしたら、子どもとしてどのように最後の時間を過ごしていくのだろうか。父の好きな指揮者のレコードを一緒に聴くか、母が影響を受けた本の読み聞かせを行うか。僕自身は両親の死に目に会うことはできなかった。末期のゆっくりとした時間をともに過ごすことはなかった。だからこんな切ない話を聞いた時に思わず涙した。

これは友人が末期の病気にある母親と過ごした最後の優しい親密な時間の話だ。病院で闘病生活を送った母親を最後は家で看取りたいと、友人は願って家族と相談し在宅看取りを選んでいった。ある朝、母親の顔色がよかったこともあり、友人は映画に行こうと病床に臥す母親に思い切って声をかけた。母親と一緒に観たい映画を、映画館で観たいと友人は思った。

「顔色がいいからといって、身体の自由がきかず状態もけっして思わしくないのに、無理して外出するのはなぜか」と、友人の妹は反対をした。「母が映画をどうしても観たいというなら、配信の映画を自宅で観た方がいい。横にもなれる」と妹は言った。ちなみに妹は看護師で、母の容態を一番よく知っている。その判断は当然だった。余命宣告をされた患者が外出先で何かあってはおおごとになる。妹は訝るように反対をし、姉に「あなたが観たい映画とは何か」と訊ねた。

「家族のありふれた日常を描いた映画「浅田家!」だ」と友人は答えた。この映画のことを友人はスイッチの特集で知った。妹はテレビで流れた予告の震災の場面が強く印象に残っているらしく、「母が陰々滅々になるから行かないで」と言った。でも友人はこう言った。「雑誌の特集記事で読むと、映画が描こうとしているのは家族のかけがえのない時間だ」と言った。

実際、浅田政志という写真家が長い時間をかけて撮り続けた家族の肖像写真には、愛おしい時間が記録されていた。映画「浅田家!」は家族写真が行き着いた「生」と「死」を描いたものだった。妹に請いながら、友人の胸のうちには映画好きだった母親の願いを叶えたいという思いが溢れてきた。姉の思いを知った妹は、母と一緒の外出は今日が最後になるかもしれない、映画を観る最後の機会かもしれないと感じ最後は背中を押した。

二人で映画館で映画を観る。昔、母とそうしたように。それが友人の思いだった。だから今日しかないと友人は実行に移した。どうか今日だけは、不安な予兆をかぎながらも重く堅い決心だった。コロナ禍ということもあり、この日映画館には客は二人しかいなかった。途中何度も笑い、悲しみで涙も溢れてきた。一所懸命に生きる浅田家に自分を重ねた。ひとつひとつが浅田家でなく自分の家の物語となっていった。母が初恋の相手だったという父のことがふと心配になった。母がいない世界に父は生きていけない。思いと思い出をどうしたらつなぎとめることができるか、友人は答えがないままにこの時間を忘れたくないと心に刻んだ。

もし一生で一枚しか写真が撮れないとしたら—— 「浅田家!」に流れる命題だ。友人はこの夜の父に抱かれて眠る母の姿を撮る。光あふれ、二人は友人の物語のまぎれもなく主人公だった。

スイッチ編集長 新井敏記