ジェリー・ロペス エッセイ|デイパック一つを携えて

賢者の教え

ジェリー・ロペスがこれまで『Coyote』に語ってくれた珠玉の言葉と書き下ろしエッセイの中から選んだ、暮らしに役立つ5つの教え。

構成=Coyote編集部
写真提供=パタゴニア日本支社

書くことのいくつかの効用

何かを学ぶ時、自分にとって一番いい方法は書くことです。自分が何を学んだのかを具体的に把握するために書いてきたように思います。人はいろいろなことを学ぶけれど、すぐに忘れてしまいます。同じような危機にあって、同じ失敗を繰り返さないために書いておくということもある。そして僕は友人たちのことを書くのが好きです。楽しい出来事はついつい忘れがちなので書いておく。読み返すと思い出が鮮やかに残ります。発表すると、何よりも友人たちが喜んでくれます。

心の平穏を保つには

サーフィンの本質は99%待つことにあります。そして自分と対峙することかもしれない。サーフィンには待つ時間が多い。波を待つ、潮の満ち引きを待つ。波が訪れるのを待つ。波のセットを待つ。そして最後に、奥さんが波乗りに行ってもいいわよと言ってくれるのを待つ。

待つことは禅に似ています。人は荒立っていたら待っていられない。内なる平安がないと待っていられない。不思議ですね。昔はいいポイントを島中探し回った。波のあるところにいても、もっといいポイントがあるんじゃないかと思ってずっと探していたような気がします。でも今は白い波がたっていたら、そこで待っていられる。サーフィンに対する理解が深まってきたらどこでも波が見えるようになってきました。同じ波であっても人によって印象も感覚も違う。結局は自分の考え方の問題であることに気がつきました。僕のハワイでの生活は、朝起きて波をチェックする。いい波があれば波乗りをして、波がなければその日何をするか考える。普通の人は予定が決まっていて、起きたときからやることがある。でも僕は目が覚めた瞬間にはまだ自分が何をするのかわかっていない。

多くの人は過去にこだわり、未来を希望ではなく不安の予兆として生活しています。その時その瞬間に生きること。サーフィンをしているとそのことが自然と身に付いてくるんです。

サーフィンが叶えてくれること

ほとんどの人はサーフィンやスノーボードをスポーツとして捉えています。肉体的な行為だと考えている。でも僕はどちらも非常に精神的で、そこから生まれる感情はとても深いものだと感じます。

あるレベルまで行くと自分が解き放たれて自由になり、本来あるべき自然な精神状態になっていく。何も考えない瞑想状態に入ることができる。サーフィン、スノーボード、ヨガ。そのどれもがからだを鍛え、体力や健康を維持するためのものです。でも同時に、厳しい訓練に身を捧げる熱心さで追求すると、精神的にも多くを得られるようになります。毎日続けて練習し、正しい食生活を心がけることによって、調和のとれた精神状態を保てるようになるんです。

僕はそれをSurf Realizationと呼んでいます。サーフィンは、僕にとっては自己実現(セルフ・リアライゼーション)への手段なんです。その結果、どこに導かれるのかははっきりと言葉にできないし、説明するのは難しいけれど、何か大事なものがサーフィンの奥に存在するということだけは確信しています。少なくとも、追求し続けてきた僕の人生は今のところずっと素晴らしいものであり続けている。

そして今もいい波は続く。

シンプルな基本原則

ヨガの教えはとてもシンプルです。例えば、ヨガは自己鍛錬の連続だというものです。ヨガはからだと心と魂のバランスを保ち、調和し、浄化し、強化します。完璧な健康体や完璧な精神コントロール、独自の完璧な平和、世界、自然や神を示しています。ヨガの古くからの知恵は五つのシンプルな基本原則にまとめられます。正しい運動、正しい呼吸、正しいリラクゼーション、正しい食事、そして正しい思考と瞑想。

このスタイルはサーフィンの世界と見事に一致しています。僕が毎日サーフィンに行くのは、正しい運動を行うため。正しい呼吸やプラーナーヤーマ(Pranayama)はワイプアウトの間、水中で長く呼吸を保つためのものです。正しいリラクゼーションは、サーフィンをしない間、ゆったり過ごす時間のこと。もっとも両親とはいつもこのことで言い争いになりましたが。正しい食事は、ホノルルの数少ない健康食品店を使うことでした。正しい思考と瞑想はサーフィンや海、ヨガに関しての思考そのもの。完璧な人生とはこういうことを目指すのだと思います。

我々はどこへ向かうのか

ヨガはサーフィンとどのような関係にあるのでしょうか。答えは全てです。サーフィンは娯楽や運動以上のなにものかなのです。サーフィンは自然と対話し、大波の中で「調和」を探す機会なのです。サーフィンの要素はピュアな思考の中で見つけられる。全ての瞑想で求められる精神の状態と同じなのです。サーフィンには表面の動き以上に、意味深いものがあります。そして無限の可能性があるのです。ヨガとサーフィンは完全な相互関係にある。そして、ひとつになることで完璧な肉体、健康なからだの中にある平和な心への道を開きます。

心とからだの調和は、全ての営みの土台になっています。波との調和はサーフィンの最終的な地平です。波との一体感は終わりであり、始まりになるのです。サーファーによっては、ただいい波に乗ることだけで、それ以上は求めない人もいます。ただ、いい波に乗るということは、とてつもなく難しく、膨大な時間や練習量を必要とします。それは物凄い達成感です。しかし、人がそれを成し遂げると、ヨが同様にもっと上のレベルを求めるものです。生きるとは知識を学ぶことなのです。人がサマーディの状態に至ると、修行は終わり、全てを体得したことになります。サマーディとは超意識の状態です。心とからだを超越し、自意識が完結する、最も深く高い状態なのです。ヨガとはその状態への道標です。サーフィンはそこに至るまでの旅路を易しく、そして楽しく進むための乗り物です。

あなたは何を待っているのですか? さあ、行きましょう!

 
 
本稿を収録したCoyote No.77 特集 絵本の中の「せんそう」はこちら