馬目弘仁 消えることのない灯

クライマーとして、家庭人として

馬目は1998年に結婚し、2年後に松本へ移住。現在も妻と3人の子どもと共に松本で暮らしている。林業、クライミング、そして家庭。2年前からはガイド業も始めた。多忙な日々を送りながらも、大学卒業以来2〜3年に一度の頻度で海外遠征を続けている。

「遠征に行く際に一番大切なのは家族の了承です。正直一番気を遣いますね(笑)。秋にヒマラヤに行くのですが、今年の正月、福島の僕の実家に帰省してから松本に帰る車中で遠征のことを家族に打ち明けて、無事にオッケーをもらえました。一度遠征に行けば、家族のことは考えないようにしています。家族の写真も遠征には持っていかなくなりましたね。心境の変化があったのはメルー峰シャークスフィンへの4度目のトライの時です。それまではヒマラヤの懐に入るだけで嬉しかったし、挑戦すること自体にワクワクしていました。もちろんその気持ちも大事なのですが、4度目の挑戦ということもあって『あの山を登るために行くんだ!』という強い覚悟のほうが上回りました。ヒマラヤ登山で成果が出るようになったのはそれからです。だから家族の了承はきちんと得て行きます。ダメと言われたら絶対に行きません。後ろ髪を引かれるような思いで山に入ってもつまらないし、全然集中できませんから。2年に一度ヒマラヤに行かせてもらえているだけでも家族には感謝しています」

「壁」=モチベーションの源泉

30年以上にわたって国内外を問わず数々の壁を登ってきた馬目は、「登ることの意味について考えたことはなかった」と語る。馬目にとって「壁」とは一体何か、改めて訊いた。

「自分にとっての壁とは、あくまでも具体的な、目の前に聳え立つ“登るべきもの”です。目標とする明確な壁が自分の中にあるということは、すごく幸せなことです。それはヒマラヤに限ったことではありません。先週登れなかった岩場のルートのことを思い浮かべるだけでも生活がとても充実します。高校生で山登りを始めて以来、登ることのモチベーションが途切れたことはありません。クライミングが好きですが、それ以前に山が好きだからかもしれません。純粋にそこへ行ってみたいという憧れがあります。それに競技スポーツだと引退がありますが、山登りにはない。歳をとって身体能力が衰えても、その時々の自分に見合った楽しみ方を見出すことができます。

かつて目標を持てなくなったことが一度だけあります。東日本大震災の時です。両親は福島から松本の僕の家に避難していました。その年にヒマラヤに遠征に行く予定でしたが、到底そんなメンタルにはなれませんでした。あの時はアルパインクライミングなんてしている場合じゃない、もうやめようとも思ったりしました。そんな時に、松本の『エッジアンドソファー』というクライミングジムに行ったのですが、そこのオリジナルTシャツには「NO CLIMB, NO LIFE」と書かれているんです。その時はその見慣れた文字に妙に励まされました。そう思ってもいいのかなって。そして、自分は山登りを生涯続けていこうと思いました。歳をとっても、里山でもいいから山登りをしていこうと」

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