角田光代インタビュー「第1回 旅する決意」

雑誌SWITCHで2014年から約5年間連載した作家・角田光代さんによるトラベルエッセイ「オリオリ」が、2冊の本になりました。第1弾が『大好きな町に用がある』、そして第2弾が『いきたくないのに出かけていく』です。今回はその2冊の刊行を記念し、角田光代さんのスペシャルインタビューをお届けします。旅のことはもちろん、作家という夢との出会い、そしてライフワークのマラソンについてなど、一つひとつ紐解いていきます。

訊き手:SWITCH編集長・新井敏記


(本稿はJ-WAVEラジオ「RADIO SWITCH」の放送を再構成したものです)

角田光代RADIO SWITCH

第1回 旅する決意

角田光代さんの旅を巡るエッセイには不思議な魅力がある。過酷な自然に挑むわけでも、前人未踏の地に足を踏み入れるわけでもない。だれもが足を伸ばせば訪れることが出来る国々を巡り、その土地での経験を綴っている。けれども、その言葉は確かに読む人の心に染み入り、「そうそう、旅ってそうだよね」とつい口に出したくなるような共感や、旅に対する憧れを自然と抱かせてくれる。世界が決して特別ではなく、日常の先にあることを角田さんは自らの旅を丁寧に紡ぐことで教えてくれるのだ。角田さんに旅について訊いた——

—— 角田さんは雑誌「SWITCH」の巻頭で「オリオリ」という紀行文エッセイを毎号寄稿して下さっていました。これまでの旅の経験を伝える、少し長めのお手紙のような形で寄せていただいて、毎月原稿が届くのをとても楽しみにしていたんです。

角田 最近では前ほど旅行に行けなくなってしまったので、後半では正直に言って、書くことが無くて困ったこともありました……。

—— 旅のスタイルには人それぞれありますが、角田さんの旅は現地の人々の日常に入り込んでいく感じがあるんですよね。バレンシアでマラソン大会に出場するはずが、電車が止まってしまい、居合わせた参加者とタクシーで会場まで向かうエピソードなど、エッセイでも現地の人との交流が数多く描かれています。旅をしなくなっても、そういう経験は色褪せることなく残っているのではないですか。

角田 最近すごく思うのは、かつての旅と今の旅というのがあまりにも違うので、20数年前の旅のことを話しても、伝わり切らない部分が多い気がするんですよね。旅の感じというものは、時代とともに変化するので。特にコンピューターや携帯電話があることで、旅はすごく変わったと思います。

かつてはガイドブックを片手にあれこれと試行錯誤をした旅も、今ではスマートフォンのアプリで大体のことが手軽に解決できるようになった。『大好きな町に用がある』のあとがきでは、時代とともに変化する旅のあり方と、変わることのない“旅の醍醐味”について語っている角田さんだが、そもそも、角田さんにとっての最初の旅は、一体どういったものだったのだろう。

角田 初めてなんの制約もない自由な旅をしたのは1991年の24歳のとき。行き先はタイで、約5週間をかけてタイの北から南までを巡る旅でした。

—— その時の印象や記憶に残っていることなどありますか。

角田 その時の旅は、全てが忘れられない思い出です。例えば、夜行列車に乗って、食堂車に立ち寄った時に財布を落としたんですね。朝起きて財布が無いことに気付いて、「スられちゃったのかな……」と考えていたら、同乗していた他のお客さんが「財布が落ちていたよ」と届けてくれたり。道を少し尋ねるつもりで声をかけた人が、そのまま一緒にバスに乗って目的地まで連れて行ってくれた上に、バスのお金も支払って金銭などを要求することもなくそのまま帰って行かれたり。

—— 人の綺麗な部分をたくさん見たんですね。

角田 旅の最後にマラリアになって寝込んだんですけど、それも奇妙な思い出というか、忘れがたい思い出ですね。

—— なぜタイだったのですか。

角田 なぜタイだったのか。そこにはそんなに大きな理由は無いんです。知り合いがタイの島に行ったという話を、私が旅に出る前に聞いて、それで「行きたいな」と思ったのがきっかけだと思います。

角田さんが「作家・角田光代」としてデビューしたのは1990年。「幸福な遊戯」が第9回海燕新人文学賞を受賞し、その名が知られることとなる。タイへの旅に出たのはその1年後。旅の過程を記録するため、つまり文筆活動のために旅に出たのだろうか。尋ねると少し意外な答えが返ってきた。

角田 いえ、それは仕事とはまったく関係の無い旅でした。私は23歳で作家としてデビューしたんですが、その後すぐに生活費が無くなってしまって。デビューしてすぐに本が出るということもないですし、1作目はずっと書き直しをしていました。そのため、頂いた賞金もすぐに底を尽きてしまって。だから、衛星放送「WOWOW」の番組宣伝部で、派遣社員として1年間働いたんです。そうしたら、そこでの生活が合っていて、かつ楽しすぎて、辞めたくなくなってしまって。

—— どんなところが楽しかったんですか。

角田 毎日同じ場所に行って、同じ仲間に会って、みんなとお昼を食べたり、仕事のことを話しながら夜になっていく。そんな何気ない日常が楽しくて。仕事も……有能だったんですよ(笑)。というより、自分で思うよりもちゃんと出来たんです。それで、「これはまずいな」と思ったんですね。

—— それだけ聞くととても楽しそうな生活ですが。

角田 派遣の仕事は楽しくてお金も稼げるのに対して、作家業は書いても書いても書き直しを言われて、いつ雑誌に載るか分からない状態だったんです。子どもの頃から作家になろうと思っていたのに、このままでいたら派遣社員のままで居続けてしまう。それでは駄目じゃないかと思って、思い切って派遣の仕事を辞める決意をしたんです。

—— 派遣社員の時も、書くことは続けていたんですね。

角田 そうですね。夜と土日に書いて、平日は編集者が打ち合わせのために会社の近くまで来る。そんな生活を繰り返していました。でも、作家業に専念しようと心に決めたんです。自分の中で踏ん切りをつけるため、そして会社にも辞める建前を作るために、約1カ月の旅を設定して「この旅に行くので辞めます」ということにしたんです。だから、その時は旅の過程を書いて、形にしようっていうことは、一切考えてなかったです。

新たな世界が見たい、日常から解放されたい、自分の知らない人々と出会ってみたい—— 。旅に出る理由は人によって様々だ。角田さんにとっての旅の始まりは、自身の抱き続けた夢以外の生き方と決別するため、そして作家として生きる決意をするためのきっかけ作りだった。その後、角田さんは40カ国以上の国々を巡るほどの旅好きとなり、そこから得られた経験はエッセイ、そして小説などに見ることが出来る。そのように綴られた言葉は今、新たな旅のきっかけを、読者の中へと生み出していることだろう。

次回は角田さんのルーツをさらに遡り、作家を志した幼少期を紐解いていく。

<プロフィール>
角田光代(かくたみつよ)
1967年神奈川県生まれ。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞などを受賞著書多数。現在、角田光代訳『源氏物語』を刊行中。
(本稿はJ-WAVEラジオ「RADIO SWITCH」での対談を再構成したものです)

*インタビュー第二回「書けば伝わる」はこちら

第三回「どこまでいけるんだろう」はこちら

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