FROM EDITORS「ある憧憬」

ヴィム・ヴェンダースへのSWITCHの最初の取材は、1985年9月の創刊号の時、映画『パリ、テキサス』のインタビューだった。脚本を手掛けた俳優、劇作家のサム・シェパードが表紙を飾った。ヴィム・ヴェンダースはサム・シェパードのエッセイ『モーテル・クロニクルズ』を毎日持ち歩いて暗記するほど、彼の物語に魅かれていた。

ヴェンダースはこう言う。「アメリカとドイツ、国は違っても同世代の作家の描く世界は、自分の大切な思いを伝えている」。『パリ、テキサス』は、「自分のたった一人の女性を思う男の悪魔のような執着」という『モーテル・クロニクルズ』の一行から生まれた。まっすぐに荒野に踏み込んでいくトラヴィスという男は、ヴィム・ヴェンダース自身でもあった。

インタビューが終わると、当時ヴェンダースは、『東京画』の構想中で、小津安二郎監督に傾倒し笠智衆に会いたいと言っていた。

「彼は一本の木のようによりかかることなく立っている」

ヴェンダースは笠智衆を評してこう言った。

SWITCHの笠智衆の特集は1992年1月のこと。俳優の緒形拳のご縁で笠智衆の取材が叶った。

「戦前の小津さんの映画に『父ありき』という作品がある。当時30代後半だった笠さんが50歳以上の父役をやった。寡黙な男、小津さんの描く笠智衆さんは日本映画の髄のような人だ」

「俳優緒形拳に日本映画の髄を見る」と言った僕の言葉を言下に否定して、彼は「俳優の髄なら笠智衆さんだ」と強く言った。俳優誰しも笠智衆は憧れの存在なのだ。

「ぼくは87歳なんです。いつのまに、こんな87歳になったと思って、自分でも驚いているのですよ、早いです」

取材当時、笠智衆はそう言った。

人は滅びる存在であるということを、彼ほど美しく教えてくれる俳優はいないだろうと、その言葉に納得していった。笠智衆が演じてきた父や兄の肖像は、小津が明治という近代社会に重ねて描いていったものだ。

映画『PERFECT DAYS』で役所広司がカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞した時、ヴィム・ヴェンダースは彼を「私の中の笠智衆だ」と言い、役所広司を讃えた。役所広司67歳、その柔らかな視線の先に、これからヴィム・ヴェンダースはどう物語を映すのだろうか。お楽しみはまさにこれからだ。

スイッチ編集長 新井敏記