FROM EDITORS「鬼はうち」

SWITCH TV『追憶の瀬戸内寂聴』の映像に重ねる曲を、12月のある日選んでいった。例えばグレン・グールドのバッハ『ゴールドベルク変奏曲』から「Aria」、グールドの演奏は1981年版と1955年版があり、演奏の長さが違っていて両方を使いたいと思った。瀬戸内寂聴さんが好きなエリック・ドルフィーのアルバム 『Last Date』から一曲はかけたい。チャーリー・ヘイデン&パットメセニー 『Beyond The Missouri Sky」からも数曲候補に入れたいと思った。例えば「He’s Gone Away」など、代名詞は違っても追憶の気持ちは変わらない。選曲をするにあたって再発見したのは橋本秀幸のピアノ小品集『home』だった。秋の虫の声に重ねた静寂なピアノの音がいい。

寂聴という法名の由来は、“出離者は寂なるか、梵音を聴く”という。では出奔した者には怒号以外に何が聴こえるのだろうか。好きな音は何か? と瀬戸内寂聴さんに訊ねたことがある。

「春、小川のせせらぎ、松風の轟き、原稿用紙にペンを走らせる時の音、織火のシューシューという音、そして声明しょうみょう

瀬戸内寂聴さんはさらさらと答え、こうも続けて言った。

「見えるものは見えないものにさわっている。聞こえるものは聞こえないものにさわっている」

『追憶の瀬戸内寂聴』、ラストの曲はアレサ・フランクリンが歌う「(You Make Me Feel Like)A Natural Woman」が相応しい。「あなたといると素直になれる」とアレサは歌う。

僧侶として寂聴法話に耳を傾ける聴衆にかける言葉はいつも決まっている。「よかったわね」と相談相手を全面肯定していくのだ。だから「大丈夫だ」と、そして底抜けの笑顔を見せて場を盛り上げる。

それに対して生の暗部を描く小説家瀬戸内寂聴は、苛烈にして自己否定の塊と化す。自分は幸せにはなってはいけないと、緋文字を心の蔵に刻む。小説を書くために得度したと言い切る瀬戸内寂聴さん。彼女の生の軌跡は一身にして二生も三生も生きたものだった。

「Coyote」が休刊になった時、瀬戸内寂聴さんに一度だけ気合いを入れていただいた。京都の新幹線の改札近く。「本当に私は力があるからめったにやらない」と微笑んだ瞬間、鬼の形相で背中と肩を「えいっ」と、二度ほどずつ両手で叩かれた。見えないものはそこにある。あると信じる心、鬼はもしかしたら神かもしれないと僕は思った。神を信じたことはないが、以来鬼は信じようと思った。

スイッチ編集長 新井敏記