FROM EDITORS「文七元結」

ある日、根岸にある香味屋という洋食屋を予約した。ここのハンバーグが絶品で、お腹を空かせて行こうと、根津で降りて谷中へ昼間から通称谷根千に足を運んだ。谷中を歩きながら古今亭志ん朝のことを考えた。スイッチで彼の特集をしたのが1994年の1月号のこと、今から27年前。落語家として円熟期を迎えていた志ん朝の芸をもとに特集記事を構成したが、カメラ好きという彼がよく散歩するという谷中でフォトストーリーを組んだ。待ち合わせは日暮里の駅、志ん朝の出で立ちは、紺のジャケットに白のポロシャツ、オフホワイトのコットンパンツ、パナマハットを少し斜めに手にはライカを持っていた。

好きなジャズ喫茶の前を通り谷中へと足を伸ばした。この町には志ん朝の父の五代目古今亭志ん生と兄の十代目金原亭目馬生の住居があった。寅年生まれの志ん朝の守り本尊虚空蔵菩薩の福相寺へ参拝の前、寺の脇道の木陰のじべたに風呂敷を敷いて、その上で絣の着物に紗の角帯に着替えていただいた。本名美濃部強次から三代目古今亭志ん朝への変身をこの場で願った。

着替え終わると、「さあ、参拝のあとはどこへいきますか?」と志ん朝は声をかけた。

「上野、不忍の池の柳の木まではいかがですか?」

「柳の木ですか、お化け長屋は親父が得意でした」

「志ん朝さんの『文七元結』が大好きです」

「ありがとう。あの演目で一番重要な人物は、誰だと思いますか?」

「左官長兵衛?」

志ん朝は首を横に振った。

「手代文七?」

「違う」志ん朝は少し強い口調になった。

「女房お兼、それともお久」

志ん朝は黙って首を横に振るとこう言った。

「吉原の佐野槌の女将」

僕はわけがわからず彼を見ていた。

「長兵衛と文七の死ぬ気でのやりとり、金をぶつける時、佐野槌の女将の存在が立たないと結抗するやりとりが生きないです」

響き、軽快さ、声色、テンポ、何よりも志ん朝の一人口演の念入りさにただ感心をしていった。

スイッチ編集長 新井敏記