柴田元幸[バナナ日和 vol. 4]
あんたらイケてるよ、とヘンドリックスは言った

 毎月、猿が仲間に「ここにバナナがあるぞー」と知らせるみたいな感じに、英語で書かれた本について書きます。新刊には限定せず、とにかくまだ翻訳のない、面白い本を紹介できればと。

今月の本
David Mitchell, Utopia Avenue (Sceptre, 2020)

David Mitchell, Utopia Avenue (Sceptre, 2020)

 史上最高のフォーク歌手は1978年に31歳の若さで亡くなったサンディ・デニーだと思う。彼女がフェアポート・コンヴェンションに加わって作ったアルバム『リージ&リーフ』(1969)に入っている二曲のバラッド「フェアウェル、フェアウェル」「クレージー・マン・マイケル」は何度聴いても本当に美しい。

 デイヴィッド・ミッチェルの最新作『ユートピア・アベニュー』には、始まって間もなくサンディ・デニーが出てくる。デュオを組んでいた恋人に去られ、傷ついた心でステージに上がった知り合いの女性シンガーに向かって、「あんな男、いい厄介払いだよ」とサンディ・デニーは客席から叫ぶ。ここを読んで、ああこの小説を嫌いになるのは難しいな、と思った。

 サンディ・デニーだけではない。フォーク・クラブにはバート・ヤンシュもいればアル・スチュアートもジョン・マーティンもいて、みんな彼女に優しい目を向けている。

 ……って、誰だよそれ、と思う人も多いかもしれないので、もう少し有名な名前を出すと——

Halfway down the stairs to Denmark Street, Jasper and Mecca stand aside for a figure striding up, his trench coat flapping like a superhero’s cape. He pauses his ascent. ‘Are you that guitarist?’
 ‘I’m a guitarist,’ admits Jasper. ‘I don’t know if I’m that one.’
 ‘Good line.’ The figure pushes back his fringe to reveal a thin white face, with one blue eye and one jet-black. ‘Jasper de Zoet. A damn good name. A “J” and a “Z”. Nice high Scrabble score. I saw you at 2i’s in January. You magicked up a hell of a set.’
 Jasper mimes a shrug. ‘Who are you?’
 ‘David Bowie, artiste-at-large.’

 デンマーク・ストリートに出る階段を半分降りたところで、ジャスパーとメッカは脇によけ、大股でのぼってくる人物を通そうとする。トレンチコートがスーパーヒーローのケープみたいにぱたぱた跳ねる。のぼる足どりが止まる。「君、あのギタリストか?」
 ギタリストではある」とジャスパーは認める。「あの・・ギタリストかどうかはわからないけど」
 上手いこと言うな」。相手は前髪を押し上げ、細い白い顔をさらす。片目は青く片目は真っ黒。「ジャスパー・デ・ゾート。いい名前だ。Jがあって、Zがあって。スクラブルの点も高い。1月に2i’sで君を観たよ。ものすごいステージだった」
 ジャスパーは肩をすくめる真似をする。「君は誰?」
 デヴィッド・ボウイ、よろずアーティストだ」

 (ファンには周知の事実だが、ボウイの目は左右の色が違うことで有名。)小説の「主人公」たるバンド「ユートピア・アベニュー」の短いキャリアを物語がたどるなか、この後もさまざまなミュージシャンが実名で登場する。マーク・ボラン、ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、レナード・コーエン、ジャニス・ジョプリン、フランク・ザッパ、ジェリー・ガルシア……60年代後半のロック・ミュージックを作った人たちが、遠くから一目見た姿としてではなく、ボウイのようにいまだ無名であれ、ジャニスのようにすでにビッグであれ、ユートピア・アベニューのメンバーと普通に言葉を交わす、生きた人間として出てくるのである。

 もちろん、こういう名前が意味を持つのは1960~70年代のロック愛好者に限られるわけで、彼らが登場することがこの小説の主たる魅力だったら、大した小説ということにはならないだろう。だが幸い、そうではない。こうした遊びももちろん楽しいが、この小説の最大のよさは、ユートピア・アベニュー4人のメンバー(と、マネージャー)のキャラクターがそれぞれくっきり魅力的に描き出されていることと、彼らが作り出す音楽が言葉であざやかに喚起されていることである。

 ブルース色の濃い曲を書く、「リズムギターのように」ベースを弾くディーン・モス。

 コミュニケーション能力に問題があるが、どのジャンルとも決めがたい天才肌ギタリスト兼ソングライターの、(さっきデヴィッド・ボウイに讃えられた)ジャスパー・デ・ゾート。

 フォーク畑出身の、理知的だが胸に訴える告白的な曲も書く、(さっきサンディ・デニーに励まされた)キーボード担当エルフ・ホロウェイ。

 ジャズ畑出身のドラマーで、言動はいい感じに労働者階級の荒っぽさ丸出しのグリフ・グリフィン。

 それぞれ別のバンドにいたこの4人の中に新しいバンドを幻視したマネージャー、レヴォン・フランクランド。

 僕は小説を読んでいて、それほど人物に感情移入する方ではないと思う。人物の運命の浮き沈みにあわせて一喜一憂する、ということはあまりない。

 ところがこの小説は、勝手が違った。バンドが結成されて間もないうちから、僕はこのバンドに成功してほしいと思った。メンバー4人とそのマネージャーみんなが幸福に・・・なってほしいと願った。エルフの許に元恋人が戻ってきて、しかもこの自分勝手で、噓つきで、適当に頭はいいからもっともらしいことはつねに一応言えて、自分のカリスマ的なカッコよさもしっかり計算して行動する最低の男を彼女がふたたび受け入れたときなど、もう本気で腹が立ったし、交通事故を起こして弟を死なせてしまったグリフが「もう音楽をやる気がしない」と言い出したときも、「そんなこと言うなよ! 音楽やれよ!」と胸の内で叫んでしまった。

 そうやって読み手をハラハラさせておいて、いずれ(たいていの場合は)ホッとさせる。この点でこの小説は、なかなか考えさせられた。一般に、物語の中では—— 少なくとも純文学の中では—— 人は何か過ちを犯すと、相応の罰を受けねばならない。因果応報の原理は、物語の中では現実よりも厳しく働く。『罪と罰』のラスコーリニコフが殺人という罪を犯したからには、たとえ人間的に成長し改心したとしても、シベリア行きの罰を受けないわけには行かない。だがこの小説では、その原理の働きが少しユルい。過ちを犯しても、(他人を肉体的・精神的に甚だしく傷つけるのでない限り)「何とかなってしまう」のである。ならばこの小説は物語として失格か? そういう見方もあるだろうが、むしろ、そういう「制度」に作者が自覚的に抗っていると考える方がはるかに納得が行く。

 一曲目のシングルはそこそこヒットしたが、二曲目は鳴かず飛ばず、だがアルバムはその斬新さが評価され……といった浮き沈みを経て、バンドはアメリカツアーで大成功を収める。要するに、基本的にはサクセスストーリーである(もちろん、それだけでは済まないのだが、そのへんの豊かなややこしさは実際に読んでいただくしかない)。乗せられまいと思いながら読むのだが、5人のキャラクターは読めば読むほどますますいい感じだし、1967年の、エクスタシーが拓けるにせよ一気に悪夢に墜ちていくにせよ何が起きても不思議はなかった空気も生きいきと描かれていて、あっさり乗せられて読んでしまう。アメリカでの大事なコンサート当日に、以前からジャスパーの中に入り込んでいた邪悪な別人格がとうとうジャスパーの体を乗っ取り、ステージ上でもジャスパーのふりをしてギターを弾くが……といった荒唐無稽な展開を相当引きのばして読ませるあたりは特にすごい。

 まあ中には、さすがにちょっと無理があるんじゃないかと思えるところもなくはない。バンドがイタリアに行って、ディーンが税関で(持ってもいなかった)麻薬不法所持で逮捕され投獄されるくだりは、イタリアの税関職員もそれとグルになったイタリア人興行主も実に漫画的に単純な悪者として描かれていて、よくイタリアから抗議が来なかったなあと思う(もしかしたら来たのかもしれないが、少なくともこの小説のイタリア語訳がいまもアマゾンで売られてはいる)。もちろん、全体の意図を裏切るようなきずではまったくないが。

 2~3ページまとめて引用しないとすごさが伝わらない箇所が多い作品なのだが、比較的短いなかで個人的ベスト・パッセージを選ぶとすれば、ジミ・ヘンドリックスの横でザ・フーのキース・ムーンが徹底的にアホを演じるこの一節か——

Jasper turns to find curious eyes, framed by an Afro and a snakeskin top hat with a bright blue feather. I know you . . .

 ‘Chuffin’ Heck!’ Griff looks over. ‘It’s Jimi Hendrix!’

 ‘That’s your solo album, Jimi,’ says Keith Moon. ‘Right there: Chuffing Heck, It’s Jimi Hendrix! I’m calling mine Man on the Moon. Or does that sound too much like a gay porno mag?’

 ‘Utopia Avenue, I dig you cats.’ Jimi Hendrix shakes hands with Griff and Jasper. ‘Your album’s out there.’

 Return a compliment, thinks Jasper. ‘Axis is seminal.’

 ‘I can’t listen to it, man,’ says Jimi Hendrix. ‘The sound quality’s a fuck-up. I left the original master in a cab——

 ‘Or Man in the Moon?’ wonders the Who’s drummer. ‘Or is that even smuttier? Once you start, you can’t stop . . .’

 ‘So we used a crumpled copy of Noel’s. Chas had to iron out the tape. Literally. With an iron. Where do you cats record?’

 ‘Fungus Hut,’ says Jasper, ‘on Denmark Street.’

 ‘I know it. The Experience made our very first demo there.’

 ‘Or do I go with my first choice,’ says Keith Moon, ‘Howling at the Moon? I’ll be on the cover – a hairy werewolf – howling . . .’

 ジャスパーがふり向くと、興味津々の様子の目がアフロヘアと、明るい青の羽根を挿した蛇皮のシルクハットに囲まれている。あんたのこと知ってるぞ・・・・・・・・・・・……
 こいつぁたまげたチャフイン・ヘック!」グリフがこっちを見る。「ジミ・ヘンドリックスだ!」〔グリフはヨークシャー出身であり、Chuffin’ Heckはヨークシャーのスラング〕
 それあんたのソロアルバムのタイトルだよ、ジミ」とキース・ムーンが言う。「バッチリ決まり——『チャフィング・ヘック、イッツ・ジミ・ヘンドリックス!』。俺のは『マン・オン・ザ・ムーン』にしようかな。でもそれってゲイポルノ雑誌の題みたいかな?」
 ユートピア・アベニュー、あんたらイケてるよ」ジミ・ヘンドリックスはグリフとジャスパーと握手する。「あんたらのアルバム、最高だよ」
 褒め言葉を返すんだ、とジャスパーは考える。「『アクシス』は真に新しい」〔『アクシス』はジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス2枚目のアルバム。ジャスパーはすでに述べたとおりコミュニケーション能力に問題があり、相手の言葉への返答を一々理知的に考えないといけない〕
 俺あれ、聴けないんだよ」ジミ・ヘンドリックスが言う。「音質、最悪だから。マスターテープ、タクシーに忘れちゃってさ——
 それとも『マン・イン・・・ザ・ムーン』かな?」ザ・フーのドラマーがさらに言う。「でもそれってもっとスケベかな? いったん始めると、やめられないんだよね……」
 で、仕方ないからノエルが持ってたクシャクシャのコピーを使ったんだ。チャスがテープにアイロンかけたんだぜ。冗談抜きで。アイロン使って。あんたら、どこでレコーディングしてる?」〔ノエル・レディング、チャス・チャンドラーはともにジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのメンバー〕
 ファンガス・ハット」とジャスパーは言う。「デンマーク・ストリートの」
 知ってる。エクスペリエンスも一番最初のデモ、あそこで作った」
 それともやっぱ、最初に選んだやつで行くかな」とキース・ムーンが言う。「『月に吠えるハウリング・アット・ザ・ムーン』? カバーには俺が写ってて—— 毛むくじゃらの狼男で—— 吠えてて……」

 

最新情報

〈刊行〉
MONKEY24号「イッセー=シェークスピア」発売中。

村上春樹との共著『本当の翻訳の話をしよう 増補版』(2019年スイッチ・パブリッシング刊『本当の翻訳の話をしよう』増補改訂版、新潮文庫)発売中。

マシュー・シャープ、柴田訳『戦時の愛』(スイッチ・パブリッシング)発売中。

柴田編訳『英文精読教室』、第3巻「口語を聴く」第4巻「性差を考える」(研究社)8月20日発売。

〈イベント〉

7月31日(土)午後2時~3時、手紙社主催毎月恒例オンライン朗読会
詳細はこちら

8月21日(土)午後8時~9時半、猫町倶楽部「柴田元幸の朗読夜話」
詳細はこちら

〈配信〉

コロナ時代の銀河 朗読劇「銀河鉄道の夜」 河合宏樹・古川日出男・管啓次郎・小島ケイタニーラブ・北村恵・柴田

コロナ時代の銀河——朗読劇「銀河鉄道の夜」と10年〜無観客野外朗読劇の映像公開記念(有料)

《新日本フィル》朗読と音楽 ダイベック「ヴィヴァルディ」 朗読:柴田 演奏:深谷まり&ビルマン聡平

ハラペーニョ「謎」朗読音楽映像 ウォルター・デ・ラ・メア「謎」/ハラペーニョ=朝岡英輔・伊藤豊・きたしまたくや・小島ケイタニーラブ・柴田

シンポジウム ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』への道(@神戸市外国語大学、2021/7/17)

〈その他〉
ジェームズ・ロバートソン超短篇「ある夜、図書館で」手書き拙訳稿の入ったトートバッグ をignition galleryで販売中。

バリー・ユアグロー超短篇「旅のなごり」手書き拙訳稿を包装紙にしたサンドイッチを、三軒茶屋のカフェnicolasで販売中

同じくnicolasで、「ある夜、図書館で」トートバッグ+手作りお菓子+柴田提 供の古本のセットも販売中

朝日新聞金曜夕刊にジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』新訳連載中

MONKEY vol. 24
特集 イッセー=シェークスピア
1,540円(税込)

WEB特典:
ISBN:9784884185626
2021年6月15日刊行