NO WHERE,NOW HERE. インタビュー、紀行文、出会った人々。SWITCH・COYOTE編集長 新井敏記が一つひとつ綴っていきます。

2014年9月20日

八月踊

十五夜、奄美大島の大笠利地区の八月踊を見に行く。八月踊は琉球弧に伝わる収穫祭の一種だ。
夜の八時をまわったころ、狭い路地を通る男と女の列が、家の庭先でゆっくりと輪になっていく。その輪には幼い子から老人まで連なっている。昔は名家を一軒ずつまわって夜通し繰り広げられた踊りだが、今は人も少なくなり、幾つかの地区を渡り歩くだけだ。唄は今年の収穫の恵みに感謝するものもあれば、求愛のものもあり、三十種類を数えるという。地区ごと時間ごと唄を変えて決して繰り返さない。男衆のユニゾンと女衆のユニゾンが互いに響き合うように路地に響き渡る。例えば求愛の唄なら、男衆が一緒に夫婦になろうと唄い踊ると、女衆はまだ早いと威勢のいい太鼓と唄で返す。唄のやりとりが笑いも誘う。足並みと手のしぐさが艶やかに揃う。
最初は輪の外から眺めていた。でももったないと手を引かれて輪に入る。すると女衆の声を正面から受けて、実に心地よいのだ。お腹の底から出された生音に包まれていく。暗闇に目が慣れてくると、満月の明かりが自分の影を路地に曵く。ぎこちなくも愉しい。そして唄が終わるたびにその地区の料理が差し出される。いなりもあれば黒糖のまんじゅうもある。大皿に盛られた料理をいただくと、こちらが逆に「ありがとう」と声をかけられる。黒糖焼酎は八月踊の最中からふるまわれる。初めての私は上手い人の足さばきをただ真似ればいい。なんとも緩やかな自由があった。
昔見た祭りで感動したのは沖縄のエイサー、それも平敷屋地区のものだった。三線の地謠にパーランクという小太鼓で拍子をとる。男女のゆったりとした手踊りが勇壮さと可憐さを表現している。しかしエイサーはみな揃いの衣装で、自由に輪に入ることはできない。男も女もこの日のために一年練習をしているのだ。そこが違う。八月踊にはみな普段着で参加していた。本当は揃いの浴衣があると知り合いが耳元でささやいたが、よく見ると浴衣姿の女性は数名で、あとはTシャツに短パン、ぞうり、ハレもケもなく普段着で参加している。振る舞うとはもてなすことでもあり、自由に行動することも指す。そのおおらかさに魅せられる。