2016年5月20日

生命はその中に欠如を抱く

 是枝裕和とは小誌は何度も旅をした。

 是枝裕和の『DISTANCE』の公開は二〇〇一年だが、まだ映画の脚本もできていない一年以上も前の頃、是枝はロケハンと称してマイクロバスを借りて二日間の旅をした。メンバーは伊勢谷友介、ARATA(井浦新)の俳優二人に、撮影山崎裕、音声森英司、助監督として西川美和と熊谷喜一がいた。小誌は写真家の若木信吾とともに同行を願った。

 新宿からはじまり、八王子の高尾山まで、気の向くままの道中だった。俳優二人は遠足気分だった。新宿西口の中央公園で、是枝は急に「今から嘘をついてください」と俳優二人に注文をつけた。個性の異なる二人の俳優は、片や戸惑い片やほくそ笑みながら嘘をついた。

「実は俺、ホモなんだ」

 その様子を是枝は楽しげに見つめていた。嘘と誠の境界線で遊ぶ。俳優に資質を試すように是枝はいた。『DISTANCE』は是枝裕和監督の長編映画三作目にあたるものだが、一年後彼らに手渡された脚本はそれぞれの出演部分だけで、相手の台詞は書き込まれておらず、俳優たちは物語の全貌を映画が完成するまで知らなかった。それはどういうことか。空白の部分は、それぞれの役者の感性によって作るものだという是枝の大胆な試みでもあった。ひとつの喪失を物語としてどう描くか、是枝裕和の随だ。

 小誌はいくどとなく是枝裕和とともに特集を作ってきた。どういうプロセスで企画が立ち上がり、どういう経過を経て脚本が形になり、俳優がキャスティングされていくのか。現場を前へ動かしていく目に見えない力こそ監督の魅力なのだと、映画という不思議な世界を表現していった。監督の仕事は、映画という器を用意してスタッフや俳優を集めて自由に動く場所を与えるものだと思えた。

 是枝裕和の好きな詩に吉野弘の「生命は」がある。「生命は」を「映画は」と読み替えると是枝裕和の世界が見えてくる。

  生命はすべて
  そのなかに欠如を抱き
  それを他者から満たしてもらうのだ

スイッチ編集長 新井敏記