FROM EDITORS「冬こその湘南」

湘南は冬がいい。特に夕方、昼の喧騒が消え波の音だけが聞こえる。冬ならば好きな場所がいくつかある。森戸の御用邸のすぐ脇の松林と、長者ヶ崎の岩山は風も強く海も荒々しく見える。

9月、葉山の神奈川県立近代美術館で森山大道と中平卓馬の写真展が開かれていた。展覧会の図録にはいくつもの二人の軌跡が丁寧に記されていた。

例えば二人の出会いは、1964年の冬のことだった。

フリーになったばかりの駆け出しの写真家森山大道と、雑誌「現代の眼」に配属されたばかりの編集者中平卓馬は、ある写真家を介して出会った。二人は同じ年齢で、住んでいる場所も同じ逗子だということで、すぐに意気投合し、その日新宿で酒を飲んで、一緒に横須賀線に乗って帰ったという。

金も仕事もない二人には、十分な時間があった。朝、電話をどちらともなくかけ、逗子駅近くの逗子銀座通りの洋菓子店で待ち合わせてコーヒーを飲み、バスで長者ヶ崎に出て、貝を採りに長時間海に潜る。海からあがると写真誌や写真家の悪口を言い合って身体をあたためていく。詩人になりたかった編集者と徘徊しながら街を撮っていた写真家、二人は互いの好きな写真家のことや影響を受けた小説のことを連日のように語り合っていった。

こんなことがあった。

中平から「これ面白いけれど、俺にはなんかわからない。でも読んでみなよ」と手渡されたのが、ジャック・ケルアックの『路上』だった。森山は最初はとまどいながらも我慢して読み進めると、いつしかその移動感に夢中になり主人公に自分を投影させて物語の先を追いかけていった。森山は『路上』をバネとして自分のテーマを見出して、疾走する車から国道を撮るシリーズが生まれた。『暁の1号線』は1968年12月号の「カメラ毎日」の11ページを飾った。歩道橋を渡る女とブレたトラック運転手の見開き写真には、森山大道の言葉がこう添えられていた。

「一人の女が歩道橋のうえを、内股ぎみに通りすぎる。小イキな運転手は、半身にかまえてハンドルをにぎる。ボクはボクでカメラをかかえておおわらわ。運転手と女とボクと、女とボクと運転手と、そしてイロイロなものが、メッタヤタラと交差する、国道うえ」

森山大道27歳、目の前を過ぎる光景だけを無心に追う一瞬の幸福な無名時代だった。

スイッチ編集長 新井敏記