FROM EDITORS「同行二人」

この3月、J-WAVE「RADIO SWITCH」に引き続きBS朝日で「SWITCH TV」が始まる。不定期のインタビュー番組で、第1回は黒田征太郎さんの特集だ。旅をモチーフに黒田さんとカナダのニューファンドランド島や、彼が創作のベースにしていた北九州の門司港に出かけていった。

「手が走る」

黒田さんの絵を描くスタイルをこう評したのは、K2というデザイン会社を彼と共に立ち上げた長友啓典さんだ。作家の野坂昭如さんは黒田さんを「ソップ型」、長友さんを「アンコ型」として、1939年生まれの二人を名コンビとして高く評価していた。「黒田と私との関係は共犯者です」長友さんは言った。「彼がいなかったら、私もこの仕事がこんなに長続きしていない。黒田の最高傑作をしいて挙げればK2である。私から黒田征太郎を引いたら何が残るだろう」

1969年にK2はスタートした。50周年を迎える前、2017年3月4日に長友さんは亡くなった。享年77。長友さんの誇りは「K2には代表作がない」ことだった。次に、さらにその次と、まるで生きるための遊びのように仕事を面白がった。

黒田さんのことをぼくが初めて知ったのはニッポン放送のラジオ番組「青春ホットライン」だった。1969年、田舎の中学生だったぼくは、黒田さんがDJを務める深夜番組を夢中になって聴いていた。アメリカの放浪の旅から帰ってきた黒田さんの説得力のある体験、荒れた天候の日、狭い水路を行く曳き船のように黒田さんの言葉は鼓舞するようにぼくの体に染み込んでいった。

反抗しろと黒田さんは言った。高校生の時、沢木耕太郎さんの『若き実力者たち』の「錨のない船」というノンフィクションを読んだ。16才で高校を辞めて船乗りになった黒田さんがそれからどう生きていったのか、その先が知りたくてわくわくしながら読んだ。その力強い筆致、沢木さんにも夢中になった。黒田さんは26才でアメリカに渡り、沢木さんはユーラシアに『深夜特急』の旅に出た。海を渡ることは。今はどんな時代なのか。表現者の軌跡を追った。SWITCH TVは、そんな彷徨を形にしていければと思った。同行二人、主題は移動。

スイッチ編集長 新井敏記