FROM EDITORS「風が運ぶ」

那覇は壷屋のやちむん通りの「まじる商店」に足を運んだ。久しぶりに西平まじるさんに会いたいと思った。まじるさんは沖縄の焼き物を中心とした生活雑器を扱う主だが、元来の風来坊で店を妻と長男に任せて沖縄の古い物語を語り聞かせるために日本中をいつも旅している。「まじる商店」は生活雑器の中に金城次郎や国吉清尚などの貴重な器をしのばせるように置いている粋な店だ。特に55歳で自らの命を炎で断った国吉作品は見事でまじるさん自身店に置くことを誇りとする。

まじるさんが多才で自由闊達な魚の絵付けに魅かれ、自身でも豪快な絵も描く。金城の青い海原を魚の表情は喜ぶような世界をしたためる。

「日々の商売、ああでもない、こうでもないと思いめぐらせて、いつのまにやら土をこね、絵筆を走らせ、気づけば、焼き物の面やら水彩画なぞを我流で作っておりました」

まじるさんの口癖は琉歌のような旋律を持ち、人の心をなにやらわしづかみする。このように自由に生きたいと人は願うのだろうか。

まじるさんが心酔していたのがジャズミュージシャンの屋良文雄だった。沖縄を代表するミュージシャンとして多大な功績を残した屋良は2010年に亡くなった。享年70だった。屋良が営んでいたジャズクラブ「寓話」は妻の成子さんが引き継いでいる。その「寓話」でこの10月にまじるさんプロデュースのジャズ演奏会が開かれるという。まじるさんが親しい沖縄のミュージシャンに声をかけ、屋良文雄の想いを新たにする夜なのだ。

屋良文雄に「きみは土、僕は種」という文章がある。音楽との出会いに感謝する短いエッセイだ。「僕は種」、それは旅人であるまじるさんに繋がるようだ。種を運ぶ風に学ぶようにまじるさんは生きている。

スイッチ編集長 新井敏記