漫画批評家・夏目房之介 特別講義第2回

日本漫画批評の第一人者、夏目房之介さんの漫画講義、第2回です。

第1回目では、記号論的な表現だけで漫画を分析することの難しさと、その理由を教えていただきました。漫画、特に海外漫画は、本の流通制度や社会とのつながりを考えずして語ることは不可能!

それを踏まえ、第2回目は、世界における日本漫画の立ち位置について。日本漫画が世界で一番人気、と思っていませんか…?

バンド・デシネ 夏目房之介
<プロフィール>
夏目房之介(なつめふさのすけ)
1950年、東京都出身。漫画批評家、漫画家、コラムニスト。 『手塚治虫はどこにいる』(筑摩書房)や『マンガはなぜ面白いのか——その表現と文法』(NHKライブラリー)といった代表作で日本における漫画表現論の礎を確立。1999年、手塚治虫文化賞受賞。夏目漱石の孫。現在、学習院大学大学院人文科学研究科にて「マンガ・アニメーション芸術批評研究」の分野で教鞭もとる。

第2回 世界から見た日本漫画

日本の漫画は世界的にかなりウケている方ですが、実は大きなマーケットでウケているものは数えるほどです。『ドラゴンボール』、『AKIRA』、『セーラームーン』などがビッグセールスで、実はその他はすごく小さいオタクマーケットです。ただし、オタクという存在も普遍性があるので、そういう意味でかなり日本の漫画は強力に世界性を獲得してはいます。

ただやはり、日本の漫画は日本だけのマーケットで充足してきているので、ドメスティックで、ガラパゴス化しています。だから、世界各国との批評的な意味での対話は、なかなか進みません。

ジャクリーヌ・ベルントさんというドイツ人の漫画研究者(元京都精華大学マンガ学部の教授)が、随分頑張って長年漫画の国際会議を主催されていました。日本の漫画批評の恩人なのですが、日本の漫画論の業界ではあまり評価されていません。日本人が世界にあまり目を向けていないからです。あとは語学力の問題。論文を読める人はいるのですが、会話ができないので肝心のコミュニケーションがあまり取れないんですね。

ガラパゴスというのは、特異な発展をしている、という意味で、それが商品価値にもなっているけれど、日本が意識的にやったことではない。知らないうちにそうなっただけなので、戦略でもなんでもありません。国がクールジャパンと言ってやろうとしていることの一番大きな問題は、市場分析や学術的にデータを集めるという基礎研究が、実は全然できていないということ。日本の漫画がどれくらい求められていてどれほど人気なのか、把握しきれていないのに、海外の漫画と比べることなんて本当はできません。比較の方法から考えないと。

それに、中国や韓国では、もはや紙媒体の漫画はほとんどなくなっていて、インターネットで読む漫画が主流です。当然メディアが変わればコンテンツも変わります。作品の作り方もどんどん変わっていくでしょう。漫画といえば日本が引っ張っているようなイメージがあるかもしれませんが、実は今、ずいぶん取り残されています。日本はむしろ遅れている、という認識がなさすぎる。

ただ、ここ10年ちょっとくらい、翻訳家の原正人さんのような人が出てきて海外漫画の紹介を積極的にされていますよね。実は戦前や戦後、60年代末から70年代にかけても、海外漫画を翻訳して紹介しようという動きが起こっていたんです。

海外漫画の紹介者であり批評家・翻訳家の小野耕世さんが『スパイダーマン』を、池上遼一さんの漫画で翻案して、日本を舞台にした翻案漫画として『月刊別冊少年マガジン』に連載されたのが1970年でした。その少し前にバンドデシネ原作の『バーバレラ』という映画があって、ハリウッド女優が主人公を演じて有名になりました。そうやって当時、海外漫画がいろいろなところで紹介されます。『ヤングコミック』や『プレイボーイ』のコミック特集、さらには『ジャンプ』ですら創刊号にアメコミのスペースオペラ(宇宙活劇を描くSFのジャンル)を掲載しています。

それはなぜか。日本の漫画を変えようと思っていたのです。今は信じられないかもしれませんが、60年代末から70年代って、日本は貧乏国からようやく先進国に追いつこうとしているところでした。特に文化に関してはアメリカやヨーロッパにまだまだ憧れがありました。車だったら当然「外車が良いよね」と。日本製ということにまだ自信を持っていなかった時代です。それは漫画にも言えることでした。

我々は、日本だけで漫画が発達したかのような漫画史を作ってしまい「独特なもの」という側面だけが強調されてしまいました。独特であることは間違いないけれど、そこには海外の影響がたくさんあったのです。この10数年でもう一度バンドデシネやアメリカンコミックスが紹介され、受け入れられつつあるのは、日本の漫画が危機だからだ、と僕は考えています。日本漫画が世界の中で取り残されていると本能的に気づき始めたから、新しいものを取り入れようとしているのかな、と。

ですが、もうそろそろ「日本漫画」「バンドデシネ」「アメリカンコミックス」みたいな括りはなくなっていくかもしれません。もうすでに境目は曖昧になっていますから。アメリカンコミックスの場合、フィリピン人や台湾人、中国人といったアジア人が描いていたりするんです。

あと、日本で活動していたフランス人漫画家のフレデリック・ボワレさんが、90年代にバンドデシネと日本漫画の中間のような「ヌーベル・マンガ」みたいな主張をされていました。彼の『東京は僕の庭』(光琳社,1998)という漫画は面白いですよ。バンドデシネといえばカラーですが、この作品は日本漫画のように白黒で描かれています。今は海外でもけっこうありますが、その走りですね。しかもよく見ると、濃淡は日本のトーンでつけています。

夏目房之介 特別講義2
フレデリック・ボワレ『東京は僕の庭』(光琳社,1998)

さらに、このトーンのディレクションをしたのは、なんと谷口ジローなんですよ。ちゃんと「トーンワーク:谷口ジロー」というクレジットもあって、謝辞もついています。たしかに彼はトーンワークで言えば日本で指折りの達人です。でも日本人の発想だったら、谷口ジローに「トーンだけやってくれ」なんて頼めないですよね(笑)。これこそがボワレの融合です。

日本漫画でも、バンドデシネでも、アメリカンコミックスでもない、もっと新しい共通のプラットフォームができていったら面白いですよね。我々が中国の作品を見て、直感的にこれは日本漫画の影響だ、と感じることはあります。でも現実には中間的な表現や作品の作り方がたくさんあるということも、おわかりいただけるかと思います。

つづく