写真家・浅田政志が「浅田家」を語る【後編】
(RADIO SWITCH テキスト版)

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父・章が撮り続けた「年賀状」

(「SWITCH 特集 浅田政志と家族写真」より)

 

—— 浅田くんのお父さんのあきらさんが、毎年年賀状のために浅田くんとお兄さんの幸宏さんを津市のいろいろなところへ連れて行き、記念写真を撮っていました。津市で写真を撮るということは単に浅田くんが発想しただけではなく、「浅田家」に伝わる儀式というか、そこにルーツがあったんだなと。

浅田 年賀状は僕が1歳にならないくらい、3つ上のお兄ちゃんが4歳の頃からです。津市の観光名所に行って兄弟で写真を撮って、それを年賀状に載せていろんな方に送るというのを、僕が高校を卒業するまで16年間続けていたんです。今見返すと、それが『浅田家』の原点になるなと思います。

父は長崎の出身で、もともとは岡村さんという方の家に生まれたそうですが、子どものいなかった「浅田家」に養子に行きました。今では珍しい話ですが、父が子どもの時はそういう話はよくあったのかな、と思っていました。しばらくして浅田家に子どもが生まれたらしく、本当のお子さんができたことで、父の居場所がなくなってしまったというか……父はあまりそのことは話したがらないので詳しいことはわかりませんが、とにかく寂しい思いをしたんだと思います。

父は高校を中退し、長崎から、もしくは「浅田家」から飛び出すようにして、横浜などを転々としたそうですが、横浜で母と出会い結婚し、まったく縁もゆかりもない三重県津市で「浅田家」という家族を築いた。そんな過去があるので、父なりにあたたかい家庭を築きたいと強く思っていたようです。

たとえばご飯は必ず家族揃って食べなきゃいけないとか、浅田家にはいろいろなしきたりがあるんですが、年賀状の写真もそのうちのひとつで、父が考えました。親しい人への近況報告ということで「今は津市という街で子どもを2人授かって、一応元気にやってるよ」というメッセージを込めて送っていたんですよね。昔はこの年に1回の撮影に僕はあまり乗り気じゃなくて……朝早く起きなきゃいけなかったり、父と一緒に長い時間過ごすことのへの恥ずかしさだったり。思春期の頃も撮っていましたからね。でも今思えば、この年賀状の写真の経験がいつの間にか自分の身体に染み付いていたからこそ、学生時代に「家族写真を撮ろう」と思いついたのかもしれない。その影響はすごくあると思いますね。

 

家族と故郷は似ている

(「SWITCH 特集 浅田政志と家族写真」より)

 

—— 今回の津への旅で印象深かったのが、消防署の方に「撮影は土曜日の午前中にしてほしい」と言われたことです。なぜなら火事が少ないから(笑)。

浅田 (笑)。

—— どうしてこんなに優しいんだろう、と思いました。普通はこんなに簡単に許可が出ないですよね。でも今回取材をお願いしたら、二つ返事で受けていただけました。これも津ならではの出来事だと思えてならないんです。

浅田 写真集『浅田家』で場所を貸してもらったところは40カ所くらいあります。

—— 「刀根菓子館」なんてすごいですよね。厨房まで借りることができて(笑)。

浅田「これどうやって借りたんですか」ってよく言われます。お金を払って借りたと思われるかもしれないけれど、全部無料なんですよ。でも交渉は本当に大変で、始めた頃は僕も20代前半だったので、とにかくプリントだけを持って、目の前で写真を広げて、「こんな家族写真を撮っていて、次はこちらで撮りたいんですが……」と直談判をするんです。でもなかなか伝わりづらいというか、「何これ?」という反応で。

—— その頃は写真集になるかどうかもわからない。

浅田 「それで何になるの?」みたいな。

—— 当時、浅田政志はまだ無名の写真家なわけで。

浅田 相手からすれば意味がわからないですよね。刺青入った兄ちゃんが突然来て、家族写真を見せてくるって(笑)。

—— (笑)。

浅田 僕の説明も下手でしたが、「家族で何かになりきって写真を撮りたいらしい」ということはどうにか伝わるんです。それで、自分は写真家の卵で、この先どうにかなったら嬉しいんですが……とお願いしていると、最後はみなさん「もうわかったから。今度休みの時に来たら貸してあげるよ」と言ってくださり、そのご厚意に甘えて撮り続けてきました。

—— お父さんの章さんは一年に一度、津の美しいところや、自分が面白いと思うところに息子二人を置いて写真を撮りたかった。それと同じ思いが、浅田くんの中にもあるんじゃないかなと思います。

浅田 最初は「どうすれば家族が別の何かになりきれるか」ということばかりを考えていました。しかし撮り進めていくうちに、三重の方々にこれほどご協力をいただいていることへの感謝の気持ちが生まれてきて、もっと三重で撮るべきものがあるんじゃないか、と思い至りました。伊勢は海女さんが有名なので、家族で海女さんになってみたいなとか(笑)、「三重県で撮る」ということを、より意識していくようになりました。三重は僕の故郷ですが、故郷と家族ってどこか似ていると感じます。選べないじゃないですか、家族も、生まれた場所も。

—— そうですね。

浅田 どちらもある程度成長すると、反発したくなる時期が来る。親に反発することによって大人になる。こんな田舎から出てやるという思いで、僕も東京に行きました。でも30歳を過ぎると家族と故郷の見え方が徐々に変わってくるんです。写真集『浅田家』は全部三重県で撮られた写真。一歩も三重から出ている写真がないんです。その代わり三重の端から端まで行って、家族で写真を撮り続けました。僕の写真のルーツは、家族と故郷にあるんです。

 

「SWITCH 特集 浅田政志と家族写真」ではより深く浅田政志が写真について語るロングインタビューを掲載しています。なぜ浅田政志は「家族写真」を撮り続けるのか。その本当の理由、そして浅田の写真の価値を変えた出来事とは。ぜひ本誌にてご覧ください。

 



SWITCH Vol.38 No.10
特集 浅田政志と家族写真

価格 1,000円+税
ISBN 9784884185336

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