柴田元幸[バナナ日和 vol. 9] 幽霊百景

 毎月、猿が仲間に「ここにバナナがあるぞー」と知らせるみたいな感じに、英語で書かれた本について書きます。新刊には限定せず、とにかくまだ翻訳のない、面白い本を紹介できればと。

今月の本
Kevin Brockmeier, Ghost Variations: One Hundred Stories (Pantheon, 2021)
Kevin Brockmeier, Ghost Variations: One Hundred Stories (Pantheon, 2021)

 ケヴィン・ブロックマイヤーについては楽しい記憶がある。2013年、Monkey Business英語版第3号刊行を記念してニューヨークでイベントを開き、歌人の石川美南さんとケヴィンに対談してもらったときのこと。途中まで話はいまひとつ盛り上がらず、雰囲気もなんとなく堅苦しかったのだが、やがて誰かが、(ま、ついでに訊くけどねという口調で)「あなたの好きな映画は?」と質問したところ、ケヴィンは自分のかばんに飛んでいき、中から紙束を取り出した。それは一番上にFifty Favorite Moviesと書かれた、彼が愛する映画のリストのコピーだった。ブロックマイヤー氏はこれを会場にいる全員に配り、いくつかの映画についてコメントしたのである。これで一気に雰囲気が和み、そこからはとても楽しい時間だった。
 そしてその、映画名アルファベット順に並んだリストのトップにあったのは、是枝裕和のAfter Life(『ワンダフルライフ』の英題)だった。さもありなん。邦訳も出ているケヴィンの代表作『終わりの街の終わり』(The Brief History of the Dead, 2006)も死者たちの暮らす街が舞台になっている。「死後の世界」は明らかにこの作家の大きな関心事なのだ。
 というわけで、ブロックマイヤーが2021年、『幽霊変奏曲』と題した、幽霊をめぐる短い物語を集めた本を出したのも自然な展開と言えるだろう。それにしても、何という職人芸。まず趣向が面白い。Ghosts and Memory(幽霊と記憶)、Ghosts and Fortune(幽霊と運命)、Ghosts and Nature(幽霊と自然)……以下、Time(時間)、Speculation(思索)、Vision(幻視)、The Other Senses(五感以外の感覚)、Belief(信仰) … といったふうにすべて「幽霊と~」という形の11セクションに分かれて100本の作品が並び、すべての作品が2ページでまとめられ、それぞれのタイトルの下にはすべて異なる可愛いシンボルが描かれている(うち48は上に挙げた表紙で見られる)。さらに巻末にはGhosts and Animals / Ghosts and Plants / Ghosts and Solitude … といっそう詳しい索引が付され、オマージュ、借用などもひととおり律儀に説明されている。
 というわけで形としては至れり尽くせり、実にリーダー・フレンドリーな体裁である。そしてこの体裁、中身を忠実に伝えているとも言えるし、実は少しミスリーディングとも言える。一本一本ていねいに練り上げられていることは間違いないが、内容は時にけっこう抽象的・形而上学的で、見かけほど敷居は低くないからだ。まあそうは言っても、無意味に難解だったり、過剰に独りよがりだったりすることは決してなく、一本ずつ読んでは立ちどまってじっくり考えるに値する深さがある。
 で、まずは一本目の作品を、ネタバレの次元まで踏み込んで紹介させてもらって、イメージを摑んでいただこう。

The ghost in the law firm’s doorway never stops leaving. Every few seconds she glides across the threshold of the exit, steps suddenly to her left, raises the back of her right hand to her cheek, and starts over, her face bearing a sunken look of hard concentration. She does not return to the spot where she began exactly. She recurs there. Her irises are white with death, her skin silver, her hair a gray-green Spanish moss. A hundred and seven years ago, in this very hall, when the law firm’s warren of desks and tables was a ballroom with red oak parquetry and a hammered tin ceiling, the young physician on whose attentions she had set her heart had spurned her for the linener’s daughter, putting his lips to her plump pink knuckles and declaring his infatuation before the entire room. Back then the ghost was only a living girl of fifteen.

(“A Notable Social Event”)

 その法律事務所の戸口にいる幽霊は、立ち去ることを決してやめない。数秒ごとに、滑るように敷居を越えて外に出て、突然左に一歩動き、右手の甲を頰に持っていっては、また一から始める。その顔には落ち窪んだ、深い集中の表情が窺える。さっき始めた地点とまったく同じ位置に戻る、というのは少し違う。そこに再臨するのだ。虹彩は死に白く染まり、肌は銀色、髪は灰色がかった緑のスパニッシュモス。107年前、まさにこの戸口から入った、現在法律事務所のデスクやテーブルがひしめいているところが舞踏室で、床はアカガシワの寄せ木、天井は打ち出し細工のすずだったとき、この女性が何としてもその心を射止めんと決めていた若き医師が彼女を斥け、リンネル商人の娘を選んで、そのぽっちゃりしたピンクの指関節に唇を持っていき、部屋に居合わせた全員の前で熱い思いを宣言したのである。当時、この幽霊はまだ、生きた15歳の少女であった。

(「注目すべき社交上の出来事」)

 107年前にここで好きな人に斥けられた女性の幽霊が、なぜ同じ立ち去る動作をくり返すのか。それは、107年前の自分はまだ若かったので、屈辱感、憤り、やるせなさ、心痛を正確な比率で表現できなかったからである。「見捨てられた女」を正しく演じるために、幽霊は一世紀以上ずっと、何度も何度も同じ動作を、毎回微妙に細部を変えてくり返しているのである。
 そして結末は——

Sometimes, in the long hours of a summer afternoon, when the paralegals at their desks are seeking a distraction, they watch the ghost emerging from her pleat in space and time and wonder if their lives will slip by like hers did, leaving them fastened so hopelessly, so desperately, to the past. As if a life could work any other way. As if that weren’t precisely what a life must do.

 時おり、長い夏の午後に、デスクに向かう弁護士補助員パラリーガルたちが退屈しのぎに、幽霊が時空内のひだから出てくるのを眺め、自分の人生も彼女の人生と同じようにすり抜けていくのだろうか、自分もこんなに無力にどうしようもなく過去に縛りつけられるのだろうかと自問する。人生、ほかにも流れ方があるとでもいうのか。人生そうなるしかない、のではないとでも?

 生きた人間とは異なる幽霊のありようを語ることで、結局浮き彫りになるのは、人間存在の限界である。ブロックマイヤーという書き手は拡張するよりも限定する。可能性を豊かにするよりもむしろ貧しくする。神さえも例外ではない。“What if God was not almighty, he thought, or even particularly effectual, but a loser, an underdog—kind and loving maybe, but outstrengthened by the forces of chaos and suffering? What if this world was simply the best He could do?”(もし神が全能でないとしたら、と彼は考えた。取り立てて有能ですらなく、敗者、負け犬だったら? まあ心優しく愛情深くはあるかもしれないが、混沌と苦しみの力には敵わなかったら? この程度の世界で精一杯なのだとしたら?——“An Ossuary of Trees”〔木々の納骨堂〕)。
 にもかかわらず、読んでいて決して無力感、やりきれなさだけでは終わらず、むしろある種の解放感さえ感じさせるのは、作者がその世界を細部まで律儀に、几帳面に想像=創造しているからだろう。一作わずか2ページ、しばしばものすごく長い時の流れを扱っているのに、その書き方は決して要約的・省略的ではない。最初に挙げた「注目すべき社交上の出来事」で言えば、「床はアカガシワの寄せ木、天井は打ち出し細工のすず」といったディテールがあるからこそブロックマイヤー作品は成り立つ。
 むろん、律儀に想像されたってつまらないものはつまらないのだが、幸いこの書き手には、決して退屈には書くまい、ありきたりのイメージには陥るまい、という意志も非常に強くある。だから、書き出しの一文からすでにやたらと面白い。二つ目に挙げた「木々の納骨堂」は次のような一文で始まる:

The night it occurred to him he was living inside a corpse—or, to be more precise, inside the bones of a hundred corpses: the trees that constituted the timbers of his house—was the same night he stopped sleeping.

 自分は死体の中に住んでいる——より正確には、百もの死体たち(すなわち、彼の家の材木を構成する木々)の骨の中に住んでいる——と気づいたその夜、彼は眠ることもやめた。

 あるいは、

A ghost with a poor sense of direction, distinguished among the company of ghosts for her amiability and her absentmindedness, took a wrong turn inside the house she was haunting, weaving left between the broom closet and the pretersensual ether, and found herself hundreds of miles away, on a busy street corner, where a light snow was dusting the air.

(“A Moment, However Small”)

 方向音痴で、幽霊仲間のあいだでは気立てのよさと注意散漫ぶりで知られた幽霊が、取り憑いている家の中で曲がるところを間違えてしまい、掃除用具入れと、肉体感覚を超えたエーテルとのあいだにはさまって右往左往し、気がつくと何百マイルも離れた、往来の激しい、雪がちらほら舞う四つ角に来ていた。

(ひとつの瞬間——それがどんなに小さくても)

 こうして、「すみません、トリードに行くんですか?」と訊ねるヒッチハイカーに会いつづける女性の話(これは『トワイライト・ゾーン』の有名なエピソードへのオマージュ)、死んだ象仲間の声の録音に反応しつづける象たちの話、人間に魂がなく幽霊に魂があることが判明する話、宇宙全体が幽霊になる話、糸電話で幽霊の声を聴く子供の話……等々がくり広げられる。そのなかで、限界・限定の感覚は時として生に対する驚異の感覚に反転する。これはなかなか得がたい経験である。

 

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〈刊行〉

MONKEY30号「渾身の訳業」発売中。

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『アメリカン・マスターピース 準古典篇』発売中。

アレクサンダル・ヘモン『ブルーノの問題』秋草俊一郎と共訳 書肆侃侃房 秋刊行予定。

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コロナ時代の銀河 朗読劇「銀河鉄道の夜」 河合宏樹・古川日出男・管啓次郎・小島ケイタニーラブ・北村恵・柴田

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ハラペーニョ「二本のマッチ」朗読音楽映像 ロバート・ルイス・スティーヴンソン「二本のマッチ」/ハラペーニョ=朝岡英輔・伊藤豊・きたしまたくや・小島ケイタニーラブ・柴田

MONKEY vol. 30
特集 渾身の訳業
1,540円(税込)


WEB特典:
ISBN:9784884186159
2023年6月15日刊行