【第2回】映画『真実』制作の出発点となった 是枝裕和×ジュリエット・ビノシュ対談を特別公開

現在発売中の『SWITCH』2019年11月号で特集した、是枝裕和監督による新作映画『真実』。その制作のきっかけとなったのは、2011年に是枝が東京で行ったジュリエット・ビノシュとの対談だった。「女優とは何か?」「演じるとは何か?」という、『真実』のテーマとも深く関わる貴重なやりとりが記録されたその対話を、SWITCH ONLINEにて特別に公開。


作品と自分との間に距離を置く

是枝 自分が出られた作品は繰り返し観るほうですか。

ビノシュ あんまり観ない。

是枝 観ないんだ。なぜ?

ビノシュ 「いま」を生きているから。

是枝 そうか(笑)。それはちょっと観せづらいけれど、いくつか選んできた作品を観ていただいてもいいですか。まず、僕が最初にビノシュさんと出会った『汚れた血』(*12)から。僕は当時25、6歳ぐらいだったけれど、そのころの20代の映画青年にとってはかなり衝撃的な作品だったと思います。監督のレオス・カラックス(*13)も同世代だったしね。僕はまだテレビのADで、クイズ番組のスタジオでしょっちゅう怒鳴られていたから(笑)、ほぼ同い年の監督が撮った映画として、正直いえば嫉妬の対象でした。ビノシュさんの登場シーンが素敵なんだよね。少し上から撮ったカットで、フーフーという息で髪の毛が揺れる。このとき、おいくつですか。

ビノシュ 21、2歳ぐらいかな。

是枝 この映画は夜のパリの「黒」と、キャストが衣装や光などでほぼ全編「赤」で包まれていて、その赤がすごく印象に残りました。

ビノシュ 監督のチョイスですよ。風で前髪がフワンとするのも、彼の考え。抽象的な感じでしたけどね。実をいうと撮影前は、カラックス監督は私のことを好きではないんじゃないかなと思っていたの。

是枝 なぜ?

ビノシュ 私の髪型も好きじゃないみたいだったし、ちょっと太りすぎと思っていたようだし。でも、このカットのお陰で彼は私に恋したみたいよ(笑)。

是枝 確かにこのカットを見ると、監督はこの女優に恋をしているというのがはっきりわかりますね。

ビノシュ いいえ、彼は自分の好きな女のタイプに私をはめ込んだだけ(笑)。男性が理想のオブジェとして女性を必要としている、そんな感じね。でも当時は彼に気に入られるためには何でもやりました。だんだんエスカレートして、彼が勧める映画はぜんぶ好きになってしまったわ。そのときは、本当に彼の才能というものを確信していました。

是枝 いま「オブジェ」という言葉が出ましたが、確かに「見られる存在」として映画のなかに登場しますよね。

ビノシュ フランス語の表現で、「まるで絵のようにおとなしい」といういい方があります。日本語でいうと「床の間に飾っておきたい」という感じ?(笑) 愛想がよくて、ちょっとフェミニンという理想的なイメージをカラックス監督が完璧につくりあげました。ただ、私はその美しいイメージに対してちょっとどうかなと思っていたので、次作の『ポンヌフの恋人』(*14)では、汗をかいた肌であるとか地面を転げ回るとか、そういったもので作品を描いたらと彼を挑発しました。

是枝 「見られる存在」としての女性から、もっと行動的な女性へと変化した?

ビノシュ そう。進化は常に必要でしょう? たったひとつしか正解がないなんて退屈しちゃう。ルールを破るということは大切なんです。それが「変わる」ということ。

是枝 せっかくだから『ポンヌフの恋人』も観てみましょう。この映画は端的にいうと、浮浪者が橋の上で女画学生と出会うという、すごくシンプルで、なおかつ強いという滅多にないラブストーリーだと僕は思います。この映画がビノシュさんにもたらしたものは何でしょうか。

ビノシュ 人生というのは何よりも強くて激しいものだ、ということを実感しました。私は最初のキャリアの10年ほどは、あまり自分と作品との間に距離を取らずに仕事をしていたの。限界がないほど全力投球していた。でも『ポンヌフの恋人』で、作品と自分の間にある種の距離が必要だということを実感しました。もちろん、一回一回、全力投球ではあるけれど、それなりの方法があるということを自覚したんです。映画を撮り終えたとき、私は自分自身が少しか弱い存在になったということを感じました。もう演技はできないんじゃないかと思ったぐらい。撮影中の2年半はオファーもずいぶん断ったし、撮影後も映画業界自体からちょっと距離を置いていたんです。ただ、そのようなときでも不思議なことに何か力というものは湧いてくるもので、おかげでもっと自由になれた部分はあるかもしれません。

是枝 なるほど。キェシロフスキ監督(*15)の『トリコロール 青の愛』(*16)も、ビノシュさんのキャリアでは非常に大きな作品だと思いますが。

ビノシュ 彼の撮影はまるで羽根が飛んでいくような、軽やかさの恩寵みたいな感じでした。キェシロフスキ監督は自分が撮りたいものが本当に明確にわかっている人だったんです。どうやって撮ったらいいかということをはっきりとわかっていた。それでもキェシロフスキ監督が、どこにカメラを置いていいか迷われたカットが2回ありました。ひとつ目は、灰皿があって、人物がぼやけていて、音楽が流れているシーン。もうひとつがプールのシーン。それで私は監督に提案をしたんです。主人公の女性は赤ちゃんのように水中にいて「もう生きるのが厭だ」といっているような感じで撮られたらどうですか、と。この映画の撮影中は本当によく笑いましたね。非常に陽気な撮影現場でした。

是枝 プールでは、ここでこういう音楽が入るというのをおわかりになって演技されているんですか。

ビノシュ ええ、どの瞬間にどの音楽が入ってくるか、完璧にわかっていました。ポーランドで行われた音楽の録音にも立ち会いましたから。

是枝 キェシロフスキの場合、非常に音楽の使い方が独特だし、物語のそとに音楽があるというよりは、演技とからみつくように音楽が響くことが多い気がします。

ビノシュ 私が演じたのは作曲家ですし、音楽によって自分の過去に舞い戻るというのがこの作品のテーマですよね。新しい生活、新しい人生に対して抵抗がありつつも、音楽によってその一ページをめくるようになるというような。

是枝 映画の冒頭で、夫と子どもを交通事故で失って、いろんなものを捨てて、その悲しみから逃れようとする。しかし、あとからあとから音楽が追いかけてくる。でもラストで追いかけてきた音楽に立ち向かうようになって終わりますね。その女性の変化をビノシュさんは演じているわけですが、感情表現としてはほぼ全編にわたって非常に抑えた、感情を表に出さない、難しい演技をされていたと思います。

ビノシュ あまりにも起こっていることが重大だった場合は、大袈裟に表現するのではなく、本当にささやかな感じで表現するほうが、伝わるものはもっと大きいということをキェシロフスキ監督に教わったんです。たとえば最初のほうの病院のシーン。

是枝 交通事故直後で、怪我をしてベッドに寝ているシーンですね。

ビノシュ ええ。私はそのとき監督に、この女性は号泣し、嗚咽して、泣き叫んだほうがいいんじゃないかと提案したの。そうしたら「それは必要ない」と諭されました。「その感情は君のなかにあるわけで、そとに見せる必要はないんだよ」と。監督は共産主義の国で育った方ですから、「最小限で最大限を表現する」というレトリックと技術を身につけていらっしゃるんです(笑)。

是枝 すごく好きなシーンがあるんですが、亡くなった夫の愛人が妊娠していて、その愛人にビノシュさん演じる主人公が会いに行きますね。監督からはどういう指示がされているの?

ビノシュ 何もなかった。

是枝 そうなんだ。

ビノシュ 監督に2回目のテイクを撮らせてほしいという場合は、本当にしつこくいわないとダメなの。ポーランドでは「テイクは1回で充分」という共産主義的なルールがあって、彼はそれを叩き込まれているんです。

是枝 うわ、俺、ポーランドじゃなくてよかったな(笑)。ではそれほどテイクは重ねていないんだ。

ビノシュ 最大で2テイクかしら。それも私がかなり執拗にやらせてほしいと頼んだときだけ。

是枝 さきほどの愛人と対面するシーンなんかは、普通であれば監督が何かさせたくなるだろうし、役者からしても何か感情を説明しないと伝わらないんじゃないかと不安になると思うんだけど。

ビノシュ 本当にそれは困惑させられました。「何もするな」という監督の要求があまりにも単純すぎると思えてしまって。厳密な演技指導はほかにもあって、たとえば夫の愛人に自分の家を譲るというシーン。監督からは「君は愛想良くする必要はまったくない。善意というものを見せないでくれ」と指導されたんです。その行為は善意から来るものではなく、単純に生き続けていくために決心しなければならなかったことだと。監督は正しかったですね、非常に。

是枝 すごくよくわかります。僕が印象的だったのはふたつのシーンで、ひとつ目はネズミが出てくるシーン、ふたつ目が愛人との対面シーンです。前者の新しく生まれた生というものに対しての接し方と、後者の愛人が子どもを産むという新しい生に対する接し方に、演技的にはまったく変化がない。ただ、一方は死へ向かい、一方は生へ向かう。そしてそのあとに家を譲るという行為を選択する。新しく生まれてくる命に対して、ここで接し方が変わっていくんです。たぶん観客もそこに変化を読み取っていく。それは感情というよりは、もう少し奥のほうにあるものだと思うんですが、そういう設計が非常に見事にできている映画だなと思います。

ビノシュ 監督の才能ですね。人生の意味というものを、普通の映画のような安易な編集の仕方ではなくて、独特の方法で編集していましたから。私はキェシロフスキ監督とキアロスタミ監督から「It’s enough.(これで充分)」というものを教えられました。撮影現場に行くと、本当に100パーセント出し切りたいという思いがあります。その際に「いや、それで充分だよ」といわれてしまうと、本当にいいのかなと狼狽する。でも、いつも監督のほうが正しいんです。

是枝 さっきのシーンでいうと、愛人が「私が憎い?」と訊くでしょう。いわれた側のビノシュさんは、カットとしては撮られていないけれど、お芝居はされていますよね?

ビノシュ してないの(笑)。だから、引き算するほうが、よりよい足し算になるのよ。

是枝 勉強になります(笑)。
 
 

*初出:是枝裕和対談集
『世界といまを考える1』(PHP文庫)

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<注釈>
*12 1986年のフランス映画で、日本では88年公開。レオス・カラックス監督が近未来を舞台に撮ったSF系ノワールとメロドラマを絡めた青春映画。カラックスにとっては長編では初のカラー映画であり、夜のパリの色彩表現の徹底のためにカメラマンとの綿密なテストが行われた。

*13 フランスの映画監督・脚本家。1960年パリ生まれ。83年『ボーイ・ミーツ・ガール』で長編デビュー。同年代のジャン゠ジャック・ベネックス、リュック・ベッソンとともに「恐るべき子供たち」と呼ばれた。代表作に『ポーラX』『TOKYO!「メルド」』『ホーリー・モーターズ』など。

*14 1991年製作のフランス映画で、日本では92年公開。ポンヌフ橋で繰り広げられるホームレスの青年と失明の危機にある女画学生との純愛模様が描かれる。完成までの3年の間に、カラックスとビノシュは破局を迎え、また膨大な予算による撮影中断など数々の問題が起きた。

*15 クシシュトフ・キェシロフスキ。ポーランドの映画監督。1941年ワルシャワ生まれ。66年に初の短編映画を製作、76年に初の長編劇映画『傷跡』を発表。代表作に聖書の十戒をモチーフにしたテレビドラマ『デカローグ』、フランス国旗の三色をモチーフにした映画『トリコロール三部作』など。96年没。

*16 1993年製作、フランス・ポーランド・ルーマニアの合作映画。日本では94年公開。『トリコロール三部作』の1作目。交通事故で夫と娘を亡くした女性の絶望と再生を描く。「トリコロール」は「自由(青)・平等(白)・博愛(赤)」を象徴し、「青の愛」は「過去の愛からの自由」をテーマとしている。
 
 

SWITCH vol.37 No.11 特集 是枝裕和 嘘という魅力的な魔法

 

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