【第1回】映画『真実』制作の出発点となった 是枝裕和×ジュリエット・ビノシュ対談を特別公開

現在発売中の『SWITCH』2019年11月号で特集した、是枝裕和監督による新作映画『真実』。その制作のきっかけとなったのは、2011年に是枝が東京で行ったジュリエット・ビノシュとの対談だった。「女優とは何か?」「演じるとは何か?」という、『真実』のテーマとも深く関わる貴重なやりとりが記録されたその対話を、SWITCH ONLINEにて特別に公開。

2011年1月28日、「JAPAN国際コンテンツフェスティバル」のオリジナルイベント「Co Festa2010劇的3時間SHOW」で、ジュリエット・ビノシュさんと対談させていただいた。彼女の初期の主演作『汚れた血』や『ポンヌフの恋人』は衝撃だった。冒頭で告白しているが、あれからビノシュは僕にとって初恋のような女優さんだ。加えて、英語をマスターし、各国の映画監督に精力的にコンタクトして、実際にキェシロフスキ、ハネケ、侯孝賢、キアロスタミのような素晴らしい人たちと仕事をしている彼女を心から尊敬している。僕も「いつか一緒にやりましょう」といわれているのだが、その期待を裏切らないためにも、近い将来フランスに行こうか……と考えている。(是枝)

作品を成功に導く「準備」の時間

是枝 こんばんは。是枝です。今回はジュリエット・ビノシュさんをお迎えして僕がお話を聞くということで、ちょっと緊張しています。本当に初恋の人のような女優さんなので(笑)、非常に光栄です。豊かな時間にしたいと思いますので、よろしくお付き合いください。では、さっそく今夜のゲストをお呼びします。ジュリエット・ビノシュさんです。(ビノシュ登場) いつもこれ、握手したらいいのかキスしたらいいのか悩むんだよね(笑)、日本人だから。

ビノシュ 私だって相手が日本人のときは、どうしていいかわからないわ(笑)。

是枝 さて、僕がビノシュさんに初めてお会いしたのは2004年、『誰も知らない』という映画がパリで公開されたときです。観ていただいて、そのあと日本食をご一緒したのがお付き合いの始まりでした。2度目がいつだったかな。

ビノシュ カンヌよ。

是枝 そうか。その後、東京だったかな。今日はビノシュさんに長い時間お話を伺うというので、出演した映画を何本も見直したりしたんだけど、まずは生い立ちから聞いてもいいですか。

ビノシュ フランスのパリ生まれです。

是枝 プロフィールを拝見すると、お父さんは「彫刻家」と書かれているときと「舞台監督」と書かれているときがあるんだけど。

ビノシュ 最初は舞台の演出家をしていたんですが、そのあと彫刻家になったの。

是枝 そして、お母さんがポーランド出身の女優さん。

ビノシュ そう。彼女は女優であり、演出家であり、演技指導もしています。

是枝 子どものころ、お母さんから何か演技についていわれて記憶に残っていることはありますか。

ビノシュ 彼女が私に語って聞かせたというよりは、ラシーヌ(*1)やモリエール(*2)、チェーホフ(*3)などの戯曲を一緒に演じました。音楽もファッションも彼女の影響が大きかったし、映画や舞台も一緒に観にいったし、身体を使って表現することの喜びは母からすべて教わったわね。私はパリの芸術高校を卒業したあと、フランス国立高等演劇学校(*4)に入学したんですが、男の子がとても少なかったの。だから私は男役を喜んで演じていました。それこそいちばん目立つ役ですし。戯曲というのはだいたい女役よりも男役のほうがよく描かれている場合が多いんです。だから演劇では男役を演じるほうがずっと得。ただ、映画に関していうと—— ヨーロッパ映画にかぎってですが、逆で、どちらかといえば女役のほうが得な感じがありますね。

是枝 それは10代からわかっていた?

ビノシュ いいえ、10代のときは単に男を演じることに喜びを感じていました。自由があるじゃないですか、男役を演じるって。日本で公開中(※2011年1月当時)の『トスカーナの贋作』(*5)でも、私はもちろん女性の役を演じているわけですが、この女性に監督のキアロスタミ(*6)が潜んでいるんです。ひとりで子どもを育てるとか、あるいはこの映画に出てくる子どものように片親の家庭で育つとか、ほとんどキアロスタミ監督の実体験なんですね。彼はそういうことを経験していない女性なんかよりよっぽど、私が演じた主人公の気持ちをわかっていると思う。

是枝 なるほど。いきなり本質的な話ですけど、ビノシュさんが役を演じるときに自分の実体験や実生活での記憶を重ね合わせることはどのくらいありますか。

ビノシュ いつもよ。想像力も使いますが、私自身の感覚的な記憶や感情的な記憶も含め、時間と空間の3つのレベルを総動員して演じているという感じです。まず「現在」では、目の前にいる人、季節感、そのときに吹いている風、光、履いている靴やベルトがきついとか、いま置かれている状況を感じます。「過去」は私が以前に感じたこと、経験したこと、体感したことなどの記憶です。加えて「想像力」を使えば、自分の記憶や体験を超えたものを表現することができます。演技をしている最中は、スピリチュアルなものが自分に入り込んでくる感じ。それで自分自身というものを超えた演技ができるのです。

是枝 いま「記憶」という言葉と「想像力」という言葉が出てきて、たぶんわかりやすくいうと、もうひとつは「観察」かなと。僕も脚本を書くときに大事にしているのはその3つなんです。演技でも、衣装や舞台セットや小道具などの周囲の環境を観察して、そこからも役をつくっていきますよね。実際にモデルとなる人や同じ経験をされた人たちを取材されることもあるのですか。

ビノシュ 作品は一つひとつ異なりますから、準備もそれぞれ異なります。ジョン・ブアマン(*7)監督の『イン・マイ・カントリー』(*8)のときは、南アフリカに事前に行きましたし、侯孝賢監督の『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』(*9)では人形劇師の役を演じたのですが、実際に人形劇を侯監督と一緒につくりました。私自身は女優として映画の準備をしっかりすることが大好きです。どういうものの見方をすればいいのか、どういう欲求を自分が持っているのかということを、試行錯誤しながら手作業で探っていく感じですね。

是枝 ビノシュさんは外国人を演じることもあるでしょう。カナダ出身の人間を演じることもあれば、ボスニアの難民の役を演じることもある。国や人種を越えて演じるのにはどういう覚悟が必要ですか。

ビノシュ もちろん準備の時間はかかります。『イングリッシュ・ペイシェント』(*10)の場合、アンソニー・ミンゲラ(*11)監督は「フランス語訛りがあるから、ぜんぜん問題ないよ」といってくれたので、それ以上のことはしませんでした。でも実は間違っちゃったんです。ヨーロピアンのアクセントでやっちゃった。本当はアメリカ訛りをやるべきだったのに。

『イン・マイ・カントリー』のときは、1カ月くらいアフリカのアクセントを勉強しました。あとは南アフリカに関するドキュメンタリーもたくさん観ました。ドキュメンタリーには、撮られた場所や雰囲気、その地に生きる人々の感情など、役者が演じる際の手がかりがあります。それと原作の作者にもすごく助けられたんです。アフリカのいろんな場所に連れていってくれたし、南アフリカのコミュニティがどういうものなのかを教えてくれたの。言葉のアクセントというのは土地に根ざしているから、その地に自分が身を置くことによって、何かを会得することができます。このように政治的な、あるいは人間的なテーマに関わる作品に出演するときは、そこにあるメッセージを観客に届ける作業をしなくてはなりません。アクセントなどの問題はわりと取るに足らないことで、もっと大事なことがあると思います。

第2回へつづく/strong>

<注釈>
*1 ジャン・バティスト・ラシーヌ。17世紀のフランス古典主義を代表する劇作家。主にギリシア神話、古代ローマの史実を題材に、恋愛における悲劇を書いた。『アンドロマック』『ベレニス』『フェードル』などいまなお上演される。

*2 17世紀フランスの劇作家で、コルネイユ、ラシーヌとともに古典主義の三大作家のひとり。本名はジャン゠バティスト・ポクラン。『女房学校』『タルチュフ』『人間嫌い』『守銭奴』など、鋭い人間観察による風俗描写と心理展開に基づく本格喜劇を完成させた。

*3 アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ。ロシアを代表する劇作家・短編小説家。1860年ロシア生まれ。一家の生計を立てるため、風刺とユーモアに富む作品を書き、一躍新進作家に。主な作品に戯曲『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』など。1904年没。

*4 フランスの演劇、舞台芸術に特化した教育を行う高等教育機関。役者の訓練として必要な実践経験と理論的知識を主眼とし、伝統と現代性を結びつけるうえで、1対1の対面指導が受けられる「クラス」と、さまざまな表現の実践に触れる機会が与えられる「アトリエ」の2種類からなっている。

*5 アッバス・キアロスタミ監督・脚本による長編映画。フランス・イタリアの合作映画で、日本では2011年公開。偶然に出会い、ひょんなことから偽りの夫婦を演じるひと組の男女を主人公にした、虚構と真実がないまぜのアイロニカルな物語。

*6 アッバス・キアロスタミ。イランの映画監督・脚本家・写真家。1940年テヘラン生まれ。70年に短編『パンと裏通り』でデビュー。87年に公開された『友だちのうちはどこ?』は日本でも大ヒットとなった。代表作に『そして人生はつづく』『桜桃の味』『風が吹くまま』など。

*7 イギリスの映画監督。1933年サリー州生まれ。65年『5人の週末』で映画監督デビュー。代表作にカンヌ国際映画祭監督賞を受賞した『最後の栄光』、超異色オカルト『エクソシスト2』、アーサー王伝説を映画化した『エクスカリバー』、ほか『戦場の小さな天使たち』『ラングーンを越えて』など。

*8 2004年製作・公開で、日本未公開。主演はサミュエル・L・ジャクソン、ジュリエット・ビノシュ。アパルトヘイト政策の被害を調査するために設立された委員会を追う、地元白人女性記者とアメリカから来た黒人の新聞記者が、互いに反目しあいながらも理解しあっていく様子を描く社会派ドラマ。

*9 2007年のフランス・台湾合作映画。1956年につくられ、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したアルベール・ラモリス監督の『赤い風船』に、侯孝賢監督がオマージュを捧げたヒューマンドラマ。少年、人形劇師の母、台湾人留学生の3人による心の交流が描かれる。

*10 1996年公開のアメリカ映画。ブッカー賞を受賞した『イギリス人の患者』を原作に、アンソニー・ミンゲラが監督と脚色を兼任。第二次世界大戦時代の北アフリカを舞台に、戦争で傷を負った男と人妻との不倫を描く。主演はレイフ・ファインズ、クリスティン・スコット・トーマス。

*11 イギリスの映画監督・脚本家・映画プロデューサー。1954年ワイト島生まれ。91年『愛しい人が眠るまで』で映画監督デビュー。『イングリッシュ・ペイシェント』ではアカデミー監督賞を受賞した。代表作に『リプリー』『コールド マウンテン』『こわれゆく世界の中で』など。2008年没。

*初出:是枝裕和対談集
『世界といまを考える1』(PHP文庫)


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