漫画批評家・夏目房之介 特別講義第1回

今回話を訊いたのは、日本漫画批評の第一人者、夏目房之介さんです。夏目さんは、それまでの漫画研究でされていた作品のストーリーやテーマの分析ではなく、「コマ」や「線」といった漫画の表現方法に着目し漫画を批評する手法を確立しました。漫画の読み方を変え、漫画の面白さを再発見したといっても過言ではない、すごい方なのです。

そんな夏目さんに、漫画批評家として「HM9S」シリーズを「表現方法」の観点から分析していただきたいと考え、この度取材をお願いしました。ところが、「日本人原作の小説を、フランス人が漫画に描き、日本語で出版する」といった少し特殊な成り立ちのHM9S。そう簡単に「表現方法だけで分析してください」といっても、論じるにはいろいろと問題点があるとのこと。詳しく訊いていくと、その理由も漫画を考える上でとても興味深く、海外漫画を扱うために知っておかねばならないことばかりでした。

ということで、今回は表現方法についてだけでなく、漫画と社会のつながりや歴史まで、幅広く深く教えていただきました。講義形式で全4回、お送りいたします。(HM9S編集部)

バンド・デシネ 夏目房之介

<プロフィール>
夏目房之介(なつめふさのすけ)
1950年、東京都出身。漫画批評家、漫画家、コラムニスト。 『手塚治虫はどこにいる』(筑摩書房)や『マンガはなぜ面白いのか——その表現と文法』(NHKライブラリー)といった代表作で日本における漫画表現論の礎を確立。1999年、手塚治虫文化賞受賞。夏目漱石の孫。現在、学習院大学大学院人文科学研究科にて「マンガ・アニメーション芸術批評研究」の分野で教鞭もとる。

第1回 漫画と社会の深いつながり

実は、僕は「記号論」[1]というものを全く知らずに漫画批評をはじめました。でも結果的に僕がやっていたのは、世界潮流でいうとマンガ表現の記号的形式を扱う漫画批評の一部です。主に日本の戦後漫画、手塚治虫を、漫画表現の領域で研究していました。日本ではそういう領域を「漫画表現論」と呼んでいます。

フランスのバンドデシネでも、アメリカンコミックスでも、基本的には「言葉」と「絵」が合体したメディアであると捉えられていて、その上で漫画論が組み立てられています。ところが日本はちょっと特殊で、最初に「コマ」が注目されていたんです。その影響を受けて、僕の漫画論も漫画を3つの要素で考えるところから出発しています。3つの要素とは「言葉」と「絵」と「コマ」です。要素の一つに「コマ」をあげたのはおそらく日本だけではないでしょうか。「言葉」や「絵」とは論理レベルが若干異なるので、少しおかしいのですが、それが日本では割と普及してしまったんです。

だけど、そういったやり方で世界の漫画を分析しようとするのは、簡単ではない。記号論のような漫画批評で、社会や時代を一旦離れて、漫画そのものを普遍的な形式として考え読み解くというのは、世界のどの国の漫画でもできそうな気がしますが、この方法には限界があります。なぜなら漫画には「読者」がいて、漫画は読者の”読み”の文化とか、現実の歴史・社会にものすごく左右されているからです。漫画を把握する概念の成立条件の文脈がまるで違う。

例えば流通について。日本でどうして『週刊少年ジャンプ』が最盛期毎号600万部も売れたのか、考えてみましょう。

まず、日本の出版流通業界には「取次」[2]というものがありますね。トーハン、日販の二大流通[3]と呼ばれるもので、実はこんなに権力集中した出版流通を持っている国って他にほとんどないんです。600万部も刷られているのに、全国で同時に発売できるって、他の国では考えられないです。交通網ももちろん重要。

もう一つは返品制度です。本屋に流れてまた戻ってくる。この行って返ってくるデータを取ると、完璧な流通データが得られます。マーケットを考えるときには、このデータが重要。だけど、そんなデータを持っている国は他にはありません。諸外国と統計が違うので単純に比較できない。

日本のような中央集権的流通は少なく、ばらばら。それには色々な事情があります。例えばインドネシアは島国。ジャワ島の隣にバリ島があるけど、隣の島に運ぶのに一週間かかったら、『週刊少年ジャンプ』は成立しません。でもよく考えると、日本も島国です。つまり、日本は交通流通インフラの整備が早かった。また新聞中心か雑誌中心かなど、流通形態が異なれば漫画表現の形も変わるんです。

このように漫画は社会と深く関わり、影響を受けているものなので、漫画を国別に比較するとき表現だけで漫画を考えることには限界を感じてしまうんです。

つづく

[1]相手に伝えたい事象を、わかりやすく伝えるために記号(sign)で代替して表現する手段について研究する学問。

[2]出版取次。出版社と書店の間をつなぐ流通業者。

[3]その他、大阪屋栗田、中央社などの取次も存在する。