【第2回】是枝裕和×坂元裕二対談を特別公開

現在発売中の『SWITCH』2023年6月号で特集した映画『怪物』は、映画監督・是枝裕和と脚本家・坂元裕二の初タッグとなった作品だ。ふたりの初対面は2015年3月24日に行われた対談だった(是枝裕和対談集『世界といまを考える1』に収録)。貴重なやりとりが記録されたその対話を、SWITCH ONLINEにて特別公開する。

是枝裕和×坂元裕二
どこ
かから借りてきた言葉ではない言葉を

第2回

こういう時代だからこそ生を肯定する物語を

坂元 ちょっと是枝監督にご相談したいんですが(笑)。『それでも、生きてゆく』のころは、書いている最中に震災があっても、当初から考えていた「兄がもう一度犯罪を犯す」というプロットを貫くことができたんです。でも、『Woman』では、当初はシングルマザーが死に至るまでを描く物語として考えたのですが、個人的な事情もあって、その物語を希望を持ったなかで終わらせる自信がなくなって、病気が治るという流れになりました。『問題のあるレストラン』でも、終盤の展開のなかでもう一山大きなクライマックスを考えていたんです。より厳しい対立を描くクライマックスです。でも脚本を書いている最中にイスラム国でのニュースがあって、それに伴う社会の空気に押し潰されそうになりました。それでドラマ上、当初あったプランを比較的平穏な方向に変更したんです。これは年を取ったのか、世のなかの流れ的にそうすべきなのか、まだわかりません。是枝監督はどうされているのかなと思いまして。


是枝 ああ……、わかります。


坂元 宮崎駿監督が大きなクライマックスをだんだんつくらなくなっていったじゃないですか。「ファンタジーがつくりづらくなった」ともおっしゃっていて、自分と比べるのは畏れ多いのですが、なんだかその気持ちがわかるなと。最近、大きなクライマックスを書くのが難しく感じます。


是枝 以前、歌手のCoccoのドキュメンタリー映画(『大丈夫であるように-Cocco 終らない旅-』)をつくったんですが、彼女も若いころは宮崎駿の『もののけ姫』のラストシーンで花が咲くのを見て「日和(ひよ)った、甘い!」とすごく腹が立ったんですって。でも子どもが生まれて、その子どもと一緒に観たときに、「どうか最後に花が咲いてほしい」と願う自分がいたといっていました。「隣にいる子どもがこれから生きていくときに、目の前に広がっている世界が少しでも希望のあるものとして存在してほしい」と、「駿、ありがとう」と思ったと(笑)。


坂元 (笑)


是枝 彼女の場合は個人的な状況の変化によって作品に望むものも変化していったわけですが、僕も坂元さんと同じように、この数年の時代の変化、暗転の仕方の速さについていけない部分がある。年を取ったのかなと思う気持ちが半分ありつつ、こういう時代だからこそ、生を肯定する話を書きたい。せめてドラマや映画のなかだけでも美しいものを描かないと、人でいることが正直つらくなるというか……。


坂元 でも是枝監督は万人がクライマックスだと思うものはつくらないですよね。


是枝 どうしても避けたくなるんです。書いたけど削るとか、撮ったけど使わないとか、そういうことはけっこうある。『海街diary』でも実はクライマックスを一度編集で外したんです。スタッフみんなざわついちゃって(笑)。


坂元 (笑)


是枝 昔だとそういう反応に余計意固地になって、「いや、あれがなぜ要らないかというと」と説明していたんですが、いまはだいぶ丸くなって、あってもいいかと思って戻しました。坂元さんは、自分で書いたのに自分で恥ずかしくなる感じはありますか。


坂元 僕はラブストーリーから始まったので、いまさら恥ずかしいも何もないんですが、どこまでストレートに描くかという線引きはあります。でも、ときどきそういうシーンを書いてみると、スタッフも喜ぶんですよ(笑)。『問題のあるレストラン』である女の子が恋愛について真剣に語ったりするシーンも、わかりやす過ぎるかなと思いながらも、「これ、いいですね!」とかいわれて。でも望まれているのなら書いたほうがいいのかなと思う自分もいます。


是枝 もともとどんなドラマを観てきたのですか。


坂元 そんなにテレビっ子ではなかったので、テレビドラマはほぼ観ていないんです。小山内美江子さんの書かれた『金八先生』や『無邪気な関係』とか、『池中玄太80キロ』など当時ヒットしたドラマをいくつか観ただけ。不勉強ですが、『北の国から』さえ観ていなかったです。


是枝 じゃあ、なぜ脚本を書こうと?


坂元 18歳くらいのころに、映画製作会社のディレクターズ・カンパニーのシナリオ募集コンクールに応募したんです。それは落選したんだけど、それを元にして1時間の話につくりなおしてフジテレビに送ったら、賞をいただいたんですよね。


是枝 そうだったんだ。


坂元 フジテレビに呼ばれて、テレビドラマのことをよくわからないまま、いつの間にかいまに至るという感じです(笑)。


是枝 じゃあ、そのときディレカンが賞をあげていたら、映画の脚本家でデビューしていたかもしれないんだ。


坂元 そうですね。確か第1回が『台風クラブ』で、僕はたぶん第2回に応募しました。


是枝 『台風クラブ』を見て、ここだと?


坂元 いや、監督をされた相米慎二さんがもともと大好きだったんです。


是枝 実は僕も『誰も知らない』の脚本を初めて送ったのは、ディレカンのプロデューサーなんです。最初に脚本を書いたのが1989年で、その年に。すごく丁寧に見てくださったんですが、妹が死んでしまうというラストが暗いし、映画になりにくいというようなことをいわれて、映画化には至らなかったんですけど。でも、やはり当時のディレカンは憧れというか、希望でした。


坂元 じゃ、僕たちはディレクターズ・カンパニーに外れた者同士というわけですね(笑)。


是枝 ホント、おもしろい偶然ですね。

白か黒ではなく、グレーになっていく

是枝 話を少し戻しますが、僕も震災のあとに、はたしていままでと同じものがつくれるんだろうかと考えたんです。何らかの形でこの経験が作品に影響を与えることはあるかもしれないけれど、逆に撮れないものもたくさん出てくるんじゃないかと。もちろん、震災そのものをテーマにしたり、震災の町を舞台にしたものを撮られていたりする監督もいて、その価値を認めないわけではないけれど、「こういうんじゃないんだよな」とずっと思っていた。そのときに坂元さんの『最高の離婚』を見て、瑛太くんと尾野真千子さん演じるふたりが震災当日の帰宅困難な状況下で恋に落ちて結婚し、そのふたりが数年後の地震をきっかけに離婚するという設定に「ああ、なるほどな」と思った。震災を経たあとに連ドラが何かしら変化していくのだとしたら、これかなと思ったんですよね。だから常に坂元さんが次に何をされるのかは気にしています。


坂元 また相談になっちゃうんですけどいいですか(笑)。『Mother』のような描写のあるドラマは、いまのテレビではもうつくれないという話も聞きました。特に虐待をあれだけ描写してしまうと、まあ無理だろうと。たとえば『Woman』もひたすら第1話は重苦しいんだけど、暗すぎるというクレームが来ました。


是枝 あの生活保護を巡る描写は、僕が観たドラマのなかではいちばんリアルでした。


坂元 ありがとうございます。ただ、本当にこれから何をどう描けばいいのか、ますます難しくなっていくと感じています。


是枝 いや、ぜんぜん気にせずに書いてください。……と、僕がいうのもなんですが、現実にあり得ることをテーマや題材から排除していくと、描けるものは少なくなりますよね。


坂元 是枝監督はどう思いましたか。たとえば『Mother』で子どもがゴミ袋に入れられるシーンとか、テレビで描かないでほしいと思いませんでしたか。


是枝 ぜんぜん思いません。たとえば子どもが殺される描写を直接されたら、なぜこういうシーンをわざわざ描くんだろうと思うかもしれないけれど、『Mother』はまったくそんなふうに思わなかった。


坂元 『誰も知らない』で4人の子どもたちを置いて家を出る母親は、どういうプランで描こうとされたんですか。


是枝 あれは実際の事件をモチーフにはしているけれど、僕にとってはフィクションなんです。家族構成とかも少し変えていますし。ただ、元になっている母親の報道のされ方がひどかった。「鬼母」とか「生き地獄」とかね。もちろん母親のしたことはネグレクトだし、ひどいことには間違いないですが、本人には子どもを置き去りにしていなくなったという認識はなかった。いつか戻るつもりで、それまではしっかり者の14歳の長男に下の子たちの面倒を任せていたという感覚なだけ。それも甘えといえば甘えなんですが……。
 それでいろいろと調べてみたら、長男は子どもたちだけで住んでいたアパートのなかの世界を必死で守ろうとしていたんです。外部の侵入を拒否している。たとえば母親の名前で「しばらく留守にするけど大丈夫です」という手紙を書いて大家さんに届けたり、光熱費の取り立てを貼り紙で対応したり、とにかく「母親が戻ってくるまでここを死守する」という形の守り方をしていた。もちろん、そのことが悲劇をより大きくした部分はあるけれど、なぜ長男はそんなに必死に守ろうとしたのかを考えたときに、たぶんそこには幸せだった時間もあるはずだと思ったんですね。彼が守ろうとしたもののなかにはきっと母親もいたはずだと。この事件の悲劇は、そういう豊かな時間が失われたことであって、決してそこが「地獄」だったわけではないなと思った。
 それで、脚本を書くなら目に見える形で悪者を出すのはやめようと思ったんです。「こいつさえいなければ、子どもたちはこんなに不幸にならなかった」と指が差せる相手がいると人は安心するから、そういう安全地帯に観客を置かないために、明らかな形で「こいつさえいなければ」という人を登場させない物語にしようと、母親の人物像を考えました。そしてYOUさんだったら「いい加減だけど憎まれない」という母親像が演じられるんじゃないかなと思ったんです。


坂元 なるほど……。『問題のあるレストラン』では初めて勧善懲悪の物語を意図してつくりました。まず、題材が持つ情報を伝えるために勧善懲悪がもっとも適切だと考えたことがあります。もうひとつは、「悪いことをしている人にもどこかいい面がある」という描写をすることに、いつも何か後ろ暗さのようなものを感じていたんです。ルーティンワークのようにも思っていました。人物が視聴者に善人として受け入れられるのも悪人として受け入れられるのも、結局僕のさじ加減で決まってしまうことにずっと違和感があった。それで、意図して背景を描かない人物を何人かつくりました。それは書いていて、厭な気持ちになるし、すごく苦しかった。
 でも最近観た『アメリカン・スナイパー』という映画がおもしろかったんです。反戦なのか好戦なのかと二元論で語られがちだけど、つくっている人はそんなレベルではない。撃たれる人がどんな思いでいるのかとか、撃つほうはどんな思いでいるのかとか、監督は何も描こうとせずにつくっているように思えた。起こったことは起こったこと、わからないことはわからないこととして、そのままある。それであらためて、自分がいろんな登場人物がいい人に見えるように描くことは姑息なんじゃないかと思って。


是枝 僕、ぜんぜん姑息だと思わない。お話をお聞きしてよくわかったんですが、坂元さんは「この人、なんでこんなこといっちゃうんだろう」と自ら考えながら台詞を生み出している。だからこそ、人となりがだんだんと見えてくる。出てくる人間がみんな白か黒ではなくてグレーになっていくのは、僕は好きです。


坂元 そういっていただけて、ちょっとホッとしました(笑)。

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初出:是枝裕和対談集『世界といまを考える1』(PHP文庫)

SWITCH Vol.41 No.6
特集:『怪物』が描くもの


1,100円(税込)