FROM EDITORS「乱場の歌」

一昨年、 黒田征太郎さんに鶴橋の焼肉屋に連れていっていただいたことがある。 食事前に、黒田さんに大阪案内を乞いて、出生の土地である道頓堀から始まり、天王寺動物園、通天閣、飛田新地あたりを徘徊し、鶴橋の焼肉を経て、最後は千日前の法善寺界隈のバーの梯子と濃密なメニューだ。待ち合わせは午後1時、道頓堀の二ツ井戸だった。二ツ井戸は清泉で知られ大阪の生活用水をみたしたところで、織田作之助『夫婦善哉』にも登場する。今は史跡として整備された井戸の前に立ち黒田さんはこう言った。

「小さい頃はここら一面焼け野原だった。その頃、俺は手塚治虫の『新宝島』に出会って、手塚漫画に夢中になった。俺は漫画家ではなく手塚治虫になりたかった」

黒田さんはすぐ傍の国立文楽劇場には目もくれず千日前方面に歩きながら、K2のパートナーの亡き長友啓典のことをふと思い出していた。

「長友は天王寺の金持ちのボン、あいつがなりたかったのは機関車の運転士だったな。確か天王寺駅がターミナルで蒸気機関車やディーゼル機関車がいろいろあったんだろうな」

タクシーで向かった天王寺動物園の真新しい広場を指して黒田さんは「なぜ今の建築家は路地を隠したがるんだろう」と、雑然とした街あいの風景が消えたことを残念がった。

「路地が落ち着くんだ。運転手さん阪急梅田駅に行って」

阪急東通りアーケード商店街を少し入ったところ、ビルの建設前の空き地を黒田さんが限定的に借り受け、路地の猥雑な雰囲気を求めて、ナンジャン、韓国語で「乱場」を意味する青空劇場を企画したのは1989年のことだ。週末ごとにサムルノリの音楽から野坂昭如、中上健次といった文学者など、ジャンルを超えたアーティストのライブを行った。中でも一際注目を浴びたのは、都はるみの公演だった。1984年に一度は引退した都はるみだが、美空ひばりの死去もあり、もう一度演歌歌手として再スタートを果たしてのライブだった。会場は立見で50名も入れば満員のところに数百人近くのファンが押し寄せた。

「まさにナンジャンそのもの」黒田はナンジャン跡地、今はカラオケ屋になったビルを指して言った。

「でも俺は押しかけた地回り相手に立ち回っていて、はるみちゃんの公演、何も観ていなかったんだ。何歌ったのかも覚えていない。地回り男の罵声だけ浴びていた」

「黒田征太郎、 男の中の男ですね」

そう言うと照れたように笑ってこう言った。

「早く、焼肉屋に行こう。予約でいっぱいだから。こーちゃんが特別に開店前に店開けてくれたんだ。こーちゃん最高だぜ。箸なんてめんどくさいと言って、手で取って食べさせてくれる」

ええ? 手で、それは……言葉を失った僕は、歩き出す黒田さんの背中をただ目で追いかけた。

スイッチ編集長 新井敏記