FROM EDITORS「親の顔」

年に一度、落語会を仲間内で開く知り合いがいる。回を重ね、素人ながら今では300人近い観客を集める人気と実力を誇っている。ある時、桂文楽の落語全集をその知り合いにプレゼントしたことがある。昔、落語特集用にと集めていた資料のひとつ。素直に彼が喜ぶかと思ったが、そうではなかった。

「古典落語なんてめっそうもない、ましてや江戸落語の名人から学ぶなんて、とうてい柄ではないです」

彼が関西出身だったことを思い出した。ならば桂米朝なら喜んでくれたかもしれないと思った。「文楽を目標になんてつもりはないです。でも聴いて損はないと思います」 と、なかば強引に手渡した。まだ戸惑っている彼に、僕は 「なぜ落語をやるようになったのか」と訊いた。

「ある日、母が親父の遺品を整理していたら、落語のCD全集が出てきたんです。母はぼくに親父の片見分けだと言って、それをくれたんです。落語好きだったお父さんのために一席披露したらというのが母の軽口だった」

落語全集の中から題名に魅かれて、彼が最初に聴いたのは「花色木綿」だった。五代目桂文枝が1973年12月26日大阪難波の高島屋ホールで演じたものだ。

「その泥棒噺が気に入って、ある時誘われて落語会で披露したんです」

「いつかお父さんに捧げる落語会をしないといけないですね」

「七回忌には間に合わなかったのですが、十三回忌に、実家で母と親戚を集めて、一席を披露することができたんです」

「一席は何を選んだのですか?」

「『親の顔』 です。 志の輔さんの創作落語です」

「親の顔」は立川志の輔の初の創作落語だ。八五郎の息子金太が、テストで100点満点中5点という成績で学校から呼び出しをくらう。先生、八五郎、金太の三者面談。先生とのやりとりの中で、間違った答えにはちゃんと筋があると金太が屁理屈をこねる。たとえばこんな問答—— 「太郎君と次郎君が草刈りをします。太郎君が2分の1、次郎君が3分の1刈りました。草はどれだけ残るでしょうか?」 金太の答えは「やってみなければわからない」だった。八五郎はこれはわるくない。八五郎にはその答えがなぜか5点以上にまさっていると思えてくる——

「八五郎を父の名前に、金太をわたしの名前に言い換えました。実際の父のエピソードも加えました。母親も親戚も最初から泣いている。オチで笑うところは号泣でした」

「いい法要でしたね、次の二十三回忌には『二十四孝』をぜひ」

「『二十四孝』という落語があるんですか? 実は古典落語はあまり知らないんです」

スイッチ編集長 新井敏記