FROM EDITORS「本当に」

萩原健一さんに初めてお目にかかったのは瀬戸内寂聴さんの責任編集の雑誌「the 寂聴」の創刊号での2008年9月だった。待ち合わせの場所は横浜のホテル、約束の時間より2時間も早く、ショーケンは着いていた。しかも部屋に入れないことをホテルの支配人を呼び出して怒っている様子。準備もあり彼に少し遅れて到着した僕は、まさに平身低頭で何度も謝罪した。そしてとばっちりを受けて怒られている支配人にこの場から退散を願い、二人きりにしてもらった。

「本当にごめんなさい」

もう一度大きな声で謝った。まだショーケンは不機嫌な様子で、対談場所の部屋に入れないことをなじるように怒ってきた。瀬戸内さんの到着まではまだ相当な時間がある。僕はロビーではなんだからと言って、ショーケンをラウンジのティーサロンに誘った。

デジャヴュ! 待ち時間に遅れて来るのはスター、約束の時間より早く来て、しかも不機嫌になるのは大スターであると、かつて実感したことがある。以前俳優勝新太郎さんが撮影時間の2時間前にスタジオにやってきて、まだ準備の途中でスタジオに入れてもらえないことと、写真家が自分よりも遅く来たことに腹を立て、車の中でずっと腕組みをして怒って1時間、写真家がちゃんと謝るまでここから出ないと駄々をこねた。

「本当にごめんなさい」

その時も本当にという言葉を僕は使った。そもそも「本」は「草木の根」というところから出た言葉—— 根元、中心、ものごとの大切な部分、心ある言葉だ。そんなに使っていいのだろうか、などと考える余裕もなかった。

ショーケンも大スターなのだ。なにしろ『太陽にほえろ!』、『前略おふくろ様』のショーケンなのだ。『勝海舟』の岡田以蔵役は天下一品だ。ショーケンは何しろ格好良さを役柄で一番大切にしてきた。瀬戸内さんにお目にかかるにあたり、タケオキクチのスーツを颯爽と決めている。

僕は飲み物を勧めた。

「水でいい」

「でも水だけではなんですから、コーヒーか紅茶は」

「水がいい」

そうショーケンは言い切った。やや甲高い声が響く。「愚か者よ」の歌のようなキーだ。話を変えて企画の相談に移った。

「今日は瀬戸内さんを横浜の街にエスコートしてください」

「え?」

「ただ一緒にいるだけでいい、本当の男、不良、瀬戸内さんのショーケン像で行ってください」

ショーケンは口を真一文字にして、少し微笑んだ。

ショーケンはもう一度水谷豊さんと『傷だらけの天使』をしたいという構想をつらつらと一方的にまくしたてた。振り向くとまだ彼方に瀬戸内寂聴さんの姿はなかった。

スイッチ編集長 新井敏記