FROM EDITORS「ものを見る」

山﨑努主演の熊谷守一を描いた映画『モリのいる場所』を観た。表題のモリとは熊谷守一のこと、監督は沖田修一。この映画は獨楽といわれ常識にとらわれない生き方、清貧なるがゆえに豊かな画風を誇る画家・熊谷守一の魅力を伝える。

モリの家の庭は草木の生い茂る生きものの宝庫で、モリは午前中ほとんど庭で過ごす。地面に寝そべり、虫をひたすら観察している。

「これは最近気づいたんだけど、蟻っていうのは、左の2番目の足から動き出すんだね」

発見こそ、モリの庭を徘徊した日々是好日の理由だ。山﨑努をインタビューした。撮影は池田晶紀。映画の中でモリが写真家にこう語りかける場面がある。

「写真家は風変わりだ。犬みたいに下からのぞいたり、腹這いになったり」

その言葉は1983年の山田太一のテレビドラマ『早春スケッチブック』の主人公、写真家・沢田竜彦に重なる。写真家を演じたのは山﨑努だった。沢田は現役を退いた元戦場カメラマンで重い病気に冒され、余命幾ばくもなかった。死を直前にした人間がやるべきことは何か、ドラマは真剣に突き付けていく。池田は山﨑演じる沢田の存在に魅せられて写真家になった。沢田の人間像は池田の人生の指針なのだ。池田に無理を言って大切なシーンを再現してもらった。池田が空でいえるほど身体に叩き込んだ沢田の教えだ。

「焚火をしたことはあるかい?俺は昔写真をやっていて、肩からカメラを2台ほどぶらさげていた。こっちから撮ったほうがいいか、いやあっちから撮ったほうがいいかと頭をかけめぐる。車も撮れば猫も撮れば人も撮ればビルも撮る。面白いとも受けるとも、この角度でこの光線でこのレンズでいけばいいというようなことが頭をかけめぐる。たとえばこの枯れ枝だ。こっちから撮ったほうがいいか、などとかけめぐるんだ。しかし、バシリと撮ってしまえば枯れ枝のことなんて見向きもしない。本当には見ていないんだ。そういうことが続くと人間は胸の中が空っぽになる。魂が虚ろになるんだ」

山﨑は静かに耳を傾けて「ブラボー!ブラボー!」と手を叩いた。

もっと生きる、もっと強く、独りの画家の思いを山﨑は気配で諭す。「ものを見ることの大切さ」を画家であっても写真家であっても山﨑努が生きて呼びかける。山﨑努を撮る。膝が震える感動を抑え、写真家になってはじめて池田は役者のすごみを一枚におさめた。

スイッチ編集長 新井敏記