FROM EDITORS「フラジャイル」

南東アラスカには多くの島が点在する。その中のひとつ、パノラフ島の港町シトカは19世紀前半にロシア人によって拓かれた町だ。景勝地として知られ、時に大型の外国客船が観光目的に寄港する。この夏シトカを8年ぶりに再訪した。この時期ソッカイサーモン(紅ジャケ)が川を遡上する。サーモンを狙ってハクトウワシが上空を低く旋回していた。

星野道夫はシトカをアラスカでもっとも美しい町と讃えていた。『旅する木』の中、星野はこう記す。

「シトカは僕にとっていつか暮してみたい憧れの町だった。海辺に迫る深い針葉樹の森、氷河を抱いた山々、潮を吹きあげながら島の入り江にやってくるザトウクジラ、しっとりと雨にけぶる町、そして人々もまた太古の自然のリズムの中でゆっくりと呼吸をしているように思えた」

星野がシトカで滞在したのがケイラスB&Bというインディアンの古老バーサ・ケイラスが営むところだった。この宿はシトカ近くの港を見渡すネイティブビレッジの高台にあった。遠くなだらかな稜線が似ている、シトカ富士といわれる標高970メートルのエッジカ山が2階から見えた。

星野道夫のメモリアルポールをシトカの郊外のハリバット公園に建てたのは、2008年星野道夫の命日8月8日のことだ。シトカに住む星野の盟友ボブ・サムの発案でポールにはカメラを持つ星野道夫、ワタリガラス、カリブー、クジラとグレイシャーベアが彫られた。その日も今年と同じく雨が降っていた。シトカにはふさわしい冷たい雨は森を冷やし大量の霧を発生させていた。

メモリアルに彫られたワタリガラスの嘴から水滴が垂れて星野道夫の頬を濡らしている。星野がまるで涙を流しているように思えた。ポール西側により風が強くあたるのか、紋章に塗られた装飾の色がはげ落ちて、その分貫禄がついたように思えた。レッドシダーで彫られたメモリアルポールを支えているのが支柱となるイエローシダーの木だった。イエローシダーは匂いもきつく虫除けにもなる堅い木だった。

その後面に黒のスプレーで大きな落書きの消された痕跡があった。この地を訪れたカップルの名前が描かれたものだろうか。かすかにハートが残っていた。人の心の脆さがいつまでも降る雨に流れることを願った。

スイッチ編集長 新井敏記