【特別公開】クライマー山野井泰史 ロングインタビュー「登攀記」(第3回)

 

世界屈指のクライマー山野井泰史・妙子夫妻によるギャチュンカン登頂の記録を、沢木耕太郎が描いたノンフィクション『凍』が、この春新たに登場した音声コンテンツサービス「SPINEAR」にて連続ドラマとなって配信開始された。配信を記念して、Coyote no.65(特集 一瞬の山 永遠の山)に掲載した山野井泰史の貴重なロングインタビューを全3回にわけて特別公開。(2018年5月取材)

 

 

山野井泰史は妻の妙子と二人、土地に根ざしたシンプルな暮らしを続けている。

これまで数々の困難な高所登山、クライミングを成し遂げ、

その代償として手足の指を10本失くした今もなお現役を貫く。

誰かのために登るのではなく、ただ登ることが好きだという一心な想い。

垂直の世界から学んだ豊かな叡智をここに具体的にひも解いていきたい。

 

 

写真:朝岡英輔 文:奥田祐也

 

 

第2回はこちら

 

 

夢を叶える行動力

 

山岳図書が多く並ぶ山野井の部屋の本棚

 

 

山野井 中学一年生の時に植村直己さんの講演会に行ったことがあります。

 

—— 植村さんに憧れを抱いていたんですか?

 

山野井 植村さんみたいになりたいと思っていたわけではないと思いますし、あまり北極とかには興味はなかったのですが、海外を放浪していろんなところでアルバイトして山を登ったりアマゾン川を筏で下ったり、そういう体験がおもしろそうで。地元の千葉の市民会館でおこなわれる講演が待ち遠しくて、開演の2時間くらい前に会場に着いた。すると誰も来ないと思っていたのか植村さんが仕事の打ち合わせをされていて、その時にサインをもらった。植村さんの本と、その日着ていたジャンパーに。ジャンパーはぼろぼろだったから、後日うっかり母親に捨てられちゃったけれど(笑)。

 

—— それでは「植村直己冒険賞」を受賞された時は特別な思いがあったのではないですか?

 

山野井 特になかったですね。当時から植村さんのことはすごいなと思っていましたが、僕はまだハイキング程度しかやっていませんでしたし、岩登りをするようになってからは、植村さんのいる世界と僕が目指す世界は違うんだなと思った。それからはラインホルト・メスナーだったり、後に一緒に登ることになるヴォイテク・クルティカのような人たちをすごいと思っていたかもしれない。昔下敷きの中に写真を入れるのが流行っていた時期があって、僕はメスナーのナンガ・パルバット山頂での写真を入れていた(笑)。

 

—— でも子どもの頃に植村さんのような生き方があるというのを教わった。

 

山野井 今の僕のクライミングに直接何か影響を与えてくれたわけではないと思いますが、よくありがちな言葉で言うと、夢を持ってそれを実行するために突き進んでいく行動力は、植村さんに教わったかもしれません。クライマーっていつも登っているイメージがあると思います。確かに時々やってできる運動ではないので、頻繁に活動していないとクライマーとしての自分の能力を把握できなくて危ないのですが、植村さんのような冒険というのは2年か1年に1回の大きなサイクルで行われる。だから僕は頻繁に登るのも好きだけど、どちらかというとそういう冒険のほうが好きではあります。僕も昔は年に1回の頻度で大きい遠征をやっていたから。なにか大きい一つの目標を目指して行く感じがいい。

 

—— 植村さんを例に出すと、南極横断の夢を描いて同じ距離を体感するために日本列島を徒歩で縦断したり、南極点単独犬ぞり探検を夢見てグリーンランドや北極で犬ぞりのトレーニングを重ねたり、様々な行程を経て大きな目標に向かって進んでいった。

 

山野井 そうですね。特に今のクライミングは情報が溢れている。普段からこういうロッククライミングやアイスクライミングをして、どこの岩場でこういう経験を積めばこういうクライマーになれるっていう道筋が見え過ぎちゃっている。その山を目指すにはどんな格好でどんな栄養をどのくらいの頻度で摂取した方がいいだとかがわかっているから、だいたいみんな同じような装備になる。だけど植村さんの時代の冒険というのはすべてが手探りだった。そこが羨ましくもあり、なんかいいですよね。今のアルパインクライミングはちょっとスポーツ寄りになり過ぎているというか、すべてが見え過ぎている感じが僕なんかはおもしろくないなって思うんです。

 

—— もし植村さんの時代やそれよりも前の時代に行けるとしたら、やってみたかった冒険はありますか?

 

山野井 まだ誰もエベレストに向かっていない時代だったら、一人で酸素ボンベを使わずに登ってみたかったかもしれない。おもしろいじゃないですか。エベレスト単独無酸素初登攀に向けて、5年計画くらいで準備して。今みたいなスタイルとは全然違うでしょうが、一生懸命それに向けて手探りでトレーニングを重ねて。ロマンがある。

 

 

人間の限界

 

部屋の隅に几帳面に並べられたトレーニング道具と、編み込まれたロープ

 

 

—— 今の時代の登山について教えてください。クライミングの技術は日々進化し、先人たちの記録が次々と塗り替えられています。現代クライミングの到達点を山野井さんはどう捉えていますか?

 

山野井 僕がやっていることも同様ですが、今のアルパインクライミングにはちょっとロマンが欠けている気がする。今のアルパインクライミングは技術的にすごく高い難度のことがおこなわれていると思います。だけど、こんなこと言ったら今のクライマーに失礼かもしれないけれど、1985年から90年くらいにかけて世界各地で行われたクライミングの功績と比べて、その時代より高いレベルのことを果たして我々はやっているかというと、やっていないような気がするんです。

 

—— それは意外でした。

 

山野井 あの時代のクライマーたちは、それこそロマンを感じるようなクライミングを今の時代よりも技術的にも体力的にも高いレベルでやっている。もしかしたらあの時代からもうアルパインクライミングは実は停滞しているんじゃないかなって思うことが時々あります。難しい話だけれど、1985年にヴォイテク・クルティカとロベルト・シャウアーのペアがガッシャブルムⅣ峰西壁(7925メートル)をアルパインスタイルで登っている。それでそのちょっと後にスペインのバスクのチームが、技術的にものすごく難しいアンナプルナ南壁(8091メートル)を二人だけでアルパインスタイルで登っている。今の時代と比べても、あれ以上レベルの高いことが行われているかは微妙なところ。僕自身はやっていないし、他のクライマーもやっていないような気がするんです。もっと低いところでテクニカルな挑戦はやっているけれど、人間が持っているエネルギーを総動員しているかというと、あの時代のほうが出し切っている感じがする。僕はいろんなクライミング雑誌を読みますが、そのなかであるクライミングジャーナリストが「今はアイガーを2時間ちょっとで登っただとかすごい記録が生まれているけれども、それはたいした驚きではない。1985から90年にかけての、あの時代のクライミングの飛躍的な伸びに比べたら、ステップとしては微々たるもの」と語っていました。それは僕も同感です。

 

—— 1から10にするよりも、0から1にするほうが困難だと。

 

山野井 例えばかつてラインホルト・メスナーは、モンスーンの時期にたった一人エベレストをチベット側から登った。それはクライマーとしては相当すごいことだよ。今の時代ベースキャンプにも誰もいない本当に一人きりの状態でエベレストを登って降りてこれる人がいるかと言ったら、いない気がする。あくまでも今はどこかのチームが入っていたり、トレースがついてフィックスロープが残っている。たとえ現代のトップクライマーが登頂に必要な情報を持って同じ条件で挑んだとしても、きっとメスナーのようには登れないと思う。

 

—— やはりメスナーは別格ですか?

 

山野井 他にもたくさんいましたよ。よく陸上競技とかで20年くらい記録が抜かれないことってありますよね。これだけシューズもグラウンドも良くなっているのに記録が抜かれない。人間の運動能力があの時代から実はそんなに伸びていない可能性もあるのかなと思う。ヴォイテク・クルティカが「ヒマラヤに残された最後の課題」と言われているマカルー西壁(8463メートル)に1981年にトライして、7800メートル地点まで登った。その後も世界中のトップクライマーがどんどんトライするけど、7800メートルにタッチした人はいまだにいない。もう全然その下。僕も1996年にトライして、核心部までたどり着けずに敗退しました。つい数年前まで世界のトップと言われていたスティーブ・ハウスというアメリカのクライマーがいます。マルコ・プレゼリというクライマーとの強力なパーティでトライしたけど、全然上まで行けなかった。僕よりも到達点の高さは下。ということは、これは登山に限るかはわからないけれど、突き進む能力というのか、爆発的に何かを成し遂げる人間の能力が落ちているのかなって思います。自分の肉体を見てもそう。だから今は華やかで一見難しそうなことをやっているけれども、結局まだ超えられていないという気はします。それが淋しいとかそういうわけではないですが。常に伸び続けなくたっていいわけだから。でも、もしかしたら50年後か100年後に突然やり遂げる人間が現れるのかもしれない。

 

—— 昔に比べたら今はどこの隊も最新の気象情報を入れているし、装備も軽くて食べ物の栄養だっていい。

 

山野井 一番良い時にアタックできるはずだし、装備だって負担は昔の半分。人間自身の力が落ちている可能性もある。ただそこで「もう死んでもいいから登ってやる!」って根性出したからといってマカルー西壁は登れないと思うんです。僕は1996年、全盛期の頃にトライした。前年の1995年に現地へ下見に行って、攻略するために必要な能力を想像して、一年かけてそれに合わせたトレーニングを積んで挑みました。でも、いざ壁を見上げた瞬間「ああ、これは僕には登れない課題だな」と瞬時に思った。偉そうに言うわけじゃないけれど、僕は当時クライマーとして世界でもトップクラスだったと思うんです。その僕が実際に見て登れないと思ったんだから、世の中の人は誰も登れないんじゃないかなってチラッと当時は思っていた。この先何年も登られないだろうなって。それから20年以上経ちますが、いまだ誰にも登られていない。みんな課題として興味を持っているはずだから、時代的にそろそろ登られてもいい頃なんだけど。

 

—— 今でもクライマーたちが挑戦し続けているんですか?

 

山野井 ときどき。ただ、山とか岩って不思議なもので、やっぱり現物にすごい迫力があると、死ぬ覚悟で一歩を踏み出せるかといったら踏み出せないんですよ。それは動物の本能として。どうやっても勝ち目のないところに一歩を踏み出すことはできないわけで、だからみんなすぐに帰ってくるよね。それだけ山のエネルギー、壁のエネルギーというのは強いものなんです。

 

 

登山に残されたロマン

 

中学生の時、植村直己の講演を聞きながら本の裏に書いたメモ

 

 

—— ヒマラヤにはまだロマンが残っているということですね。

 

山野井 まだ誰にも登れない課題が残っているというのはいいことだと思うんだよね。ラトック北壁とかマカルー西壁とか。たぶんラトック北壁はそのうち登られると思うけれど、マカルー西壁を登ろうと思ったら相当超人的なクライマーが現れない限り登れないと思うんだよね。確かロシアかどこかの登山隊が酸素ボンベを使って極地法で西壁にトライしたんだけれど、結局端っこを通って西稜に抜けた。それでも確か二人くらい亡くなった。また誰かやらないかな。

 

—— それは次の世代への期待ですか?

 

山野井 誰かが成功してくれないかなっていう期待よりも、核心部の7800メートルを超えた後、どういう感じでクライミングをしたのかを聞いてみたい。7800メートルから上の壁はオーバーハングしていて、それを酸素ボンベも使わないでロッククライミングしていく。それはどういう感覚になるのだろうというのが、長く登山をやっていても想像がつかない。だからこそ、そういう別次元の話を聞いてみたい気はします。山頂が確か8400メートルですから、そこから600メートルの標高差がある。とても1日じゃ登れないから、途中で8000メートルのデスゾーンで寝るわけでしょ? それはなかなかすごいよ。スティーブ・ハウスでもダメだったし、マルコ・プレゼリでもダメだったし、昨年亡くなってしまったけどウェリ・スティックというスイスのクライマーでもきっと登れなかっただろうね。

 

—— そこを登るためにはどんな能力が必要なのでしょうか?

 

山野井 古典的なクライミングの経験をたくさん積んでいて、なお且つスピードも兼ね備えた人間が登れるんだと思う。だけど、今のクライミングは細分化され過ぎている。高い心肺機能とスピードを兼ね備えているけれどクライミング能力がそんなに高くない、もしくはその逆でクライミング能力が高いけれど心肺機能とスピードがない、というふうに今のクライマーは分かれてしまっていると思うんです。すべてを兼ね備えた人が現れるかというと、それはまた難しいよね。そんなことを言うと夢のない話になっちゃうか(笑)。だけど、わくわくするよね。いつか絶対誰かが登ると思うんです。そうやって多くの山がこれまでだって登られてきたわけで。近代登山の起源とされているモンブラン初登頂(1786年)よりも遥か昔から登山やアルパインクライミングというのはおこなわれてきたと思うんです。少しずつ積み重ねられてきた。たまたまこの20年くらいが伸びていないだけで。

 

—— それこそ山野井さんの登山にロマンを感じて、影響された次世代のクライマーたちが成し遂げるかもしれません。

 

山野井 最近の僕の登山はあまりロマンがないかな。去年登ったインドヒマラヤ未踏峰にしても、正直なところ登れる範囲内だったと思います。昔バフィン島のトール西壁を一人で登った時は23歳の時。それまでヨセミテのエル・キャピタンとフランスのドリュ西壁くらいしか大きい岩壁を登ったことがなかったのに、標高差は1400メートルくらいの当時世界最大と呼ばれた岩壁にいきなり挑戦している。自慢じゃないけれど、この時代にバフィン島の僻地の岩壁を一人で登った人間なんてほとんどいない。僕はわけもわからなく行ったんだろうけれど、今考えても客観的にこれはすごいことをやっている。そう思うと今は随分計算しちゃっているし、なんだか答えがわかっていることを繰り返しているような感じがしてちょっと淋しいかな。

 

—— 高校を卒業してすぐにヨセミテにクライミング遠征に行かれた時は、雑誌のインタビューで「勝算が三割あれば挑戦する」と答えていましたね。

 

山野井 そんな感じだった気がします。だけどもう50を過ぎると動物として仕方ないのかもしれない。頭では「どうせ残り少ないクライミング人生なんだから、もう一回ロマンのある大きい登山を試みてみろよ。それこそエベレスト南西壁でもマカルーでもいいし、もう一回トライしてみろよ」と時々チラッとよぎるんだけれど、やっぱりできない。自分のなかの生命維持装置がやめておけって指令を出しているような気がする。たぶん行ったら死んじゃうんでしょうね。でも、今の自分の登山にいまひとつ満足できていないと言っても、結局それは僕のなかで消化すればいいだけの話であって、作品を世に発表する作家やプロスポーツのように、仕事としてどんどん前の自分を越えていかなければならないというほうが大変ですよね。それは僕にはないからな。前ほどロマンが足りてないということがちょっと淋しいだけ。

 

 

妻の妙子さんと自宅玄関前にて

 

 


Coyote No.65
特集:MOUNTAIN STORIES 一瞬の山 永遠の山

2018年7月15日発売
価格:1,200円+税

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連続ドラマ・沢木耕太郎『凍』について

作家・沢木耕太郎によるノンフィクションの名著『凍』。世界的なクライマー、山野井泰史と山野井妙子による、ヒマラヤの難峰ギャチュンカン登頂挑戦の記録と記憶。風雪、幾度もの雪崩、直面する死の氷壁……。想像を絶する困難に立ち向かう二人の生死を分けた決断とはーー。絶望的な状況から生還を果たす人間の精神と肉体の物語を、連続ドラマ化。

ご視聴はこちら▷https://spinear.com/shows/sawaki-kotaro-tou/

 

 

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