THE BACKGROUND OF “THE IRISHMAN” vol.03
マーティン・スコセッシ。
怒りと慈しみ、暴力と信仰の狭間で

Netflixで現在配信中の映画『アイリッシュマン』。そのバックグラウンドをひもとく連続コラム第3回は、本作の監督マーティン・スコセッシのキャリアを徹底解剖。数多くの名作を世に送り出してきたスコセッシが見つめるその先にあるものとは

ILLUSTRATION: SHOJI NAOKI
TEXT: IMAI EIICHI

名監督のオスカー受難と、
感動の授賞式

レオナルド・ディカプリオは長年、そのオスカー像を欲していた。アカデミー賞の主演男優賞である。そんなものがなくても彼はすでに一流の役者だったが、本人はそのブロンズ像を手にしたくて仕方がなかった。大ヒット映画『タイタニック』(1997)でかすりもしなかったとき、ディカプリオが選んだ道は、マーティン・スコセッシと組むことだった。

スコセッシは1970年代から、盟友ロバート・デ・ニーロと組んで、何本も傑作映画を作ってきたが、2000年代に入ると、今度はディカプリオを主演に大作映画を次々撮るようになる。

デ・ニーロはスコセッシ監督の『レイジング・ブル』(1980)でオスカーの主演男優賞を受賞している。「なかなかオスカー像に手が届かないディカプリオも、スコセッシ監督作で主演すれば、きっと受賞できるだろう」と多くの映画関係者も考えていた。

だが、ディカプリオが渾身の演技を見せた大作映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)ではノミネートもされず(同映画からこのとき主演男優賞にノミネートされたのは、脚本上は助演のダニエル・デイ=ルイスだった。ディカプリオにとって屈辱的なことだったろう)、実在の大富豪ハワード・ヒューズの半生を描いた美しい映画『アビエイター』(2004)では主演男優賞にノミネートされ大きな期待を集めたが、受賞はならなかった。

結局ディカプリオは、2015年、アレハンドロ・イニャリトゥ監督作『レヴェナント:蘇りし者』で、初のオスカー主演男優賞を受賞する。授賞式の壇上に立った彼は心から嬉しそうだった。会場からの惜しみない拍手とスタンディング・オベーションは、老いも若きもすべての映画人たちが、「その像の価値」を知り、映画に関わる者なら誰でも(隠していても実は誰もが心から)その像を欲していて、だからこそディカプリオの心情をリアルに理解し、その受賞を温かく祝福していることを示していた。

オスカー像をずっと欲し続けていたのは、監督マーティン・スコセッシも同様であった。見事な映画をいくつも撮り、毎回のように監督賞にノミネートされながらも受賞できないスコセッシは、まさに「無冠の王」だった。

1976年、カンヌ国際映画祭のパルム・ドール(最高賞)に輝いた『タクシードライバー』でも、オスカーの監督賞受賞はならなかった(まだ若かったし、暴力的で狂気を感じさせる内容だから、確かにオスカー向きの映画ではなかった)。

ロバート・デ・ニーロに主演男優賞を(まさに満場一致という感じで)もたらした、スコセッシ渾身の『レイジング・ブル』でも、ノミネートはされるも監督賞受賞はならず。

かくも美しい『グッドフェローズ』(1990)は、盟友ジョー・ペシにオスカーの助演男優賞を与えたが、監督賞には至らず(ジョー・ペシは『アイリッシュマン』で二度目の助演男優賞を受賞するだろう。それほどこの映画での彼はすばらしい)。

巨大な予算をかけ、19世紀アメリカを舞台に(そのリアルなセットや衣装は見応え抜群だった)、アイルランド移民の苦難を、得意のギャング抗争をモチーフに描いた大作『ギャング・オブ・ニューヨーク』は、アカデミー賞で10部門にノミネートされたが、なんと受賞はゼロ(この結果はかなり衝撃的だった)。

そして2006年、『ディパーテッド』で、マーティン・スコセッシはついにオスカーの監督賞を受賞。常にハリウッドから全世界に生中継される授賞式だが、スコセッシ受賞のシーンは感動的であると同時に、思わずニヤリとしてしまうエピソードにあふれたまさに「ハリウッド・ドラマ」だった。

まず、監督賞のプレゼンターとして舞台に登場したのが、フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグという、アメリカ映画界の巨人たちだった。3人の中では最年少のスピルバーグを真ん中に、でっぷりした体格のコッポラとルーカスが左右に、ズンズンズン! という感じで堂々とステージに現れると、割れんばかりの拍手と大きな歓声が上がった(当たり前だ)。もうこの時点で映画好きななら誰もが「あ、これはスコセッシがとるぞ!」と確信したはずだ。長年「とりたかったが、ぜんぜんとれない」という、まさにアカデミーに袖にされ続けたスコセッシがついに受賞となるとき、長年彼に冷たくしてきた(ように見える)アカデミーが用意したスペシャルな演出は、誰もがびっくりの三巨頭そろい踏みという豪華プレゼンターだった。

その三巨頭がまず最高のジョークで場を盛り上げる。巨匠コッポラが、「オスカー監督賞、これほどすばらしいものはないよね」と笑顔で言うと、しみじみした様子でスピルバーグが「ほんと、そう思うよ」とにやりと返す(彼もまた長年、監督賞に恵まれず、『シンドラーのリスト』でやっと受賞という流れがあった)。すると、向かって右端に立つルーカスがキョトンとした顔でこう言うのだ、「おいおい、ちょっと待ってくれ。それ、僕は一度ももらったことがないぞ!」。その瞬間に、会場から爆笑が起きる。さらにスピルバーグが「ジョージ、じゃあなんで君はここにいるんだい?」と返すと、さらに大爆笑、そして拍手喝采となる。ルーカスは(わざと)憮然とした表情を保ちながら「もういいよ、さっさと済ませてしまおう」と言って、ついに、「The Oscar goes to……“The Departed”, Martin Scorsese!!」とスコセッシの名前が発表されるのだ。

30年近く前から兄弟のような「仲間」であるスコセッシ、コッポラ、ルーカス、スピルバーグ。4人は常に連絡を取り合い、お互いのスタジオで会い、それぞれの新作映画のラッシュを見せ合って意見を交換することを、長年おこなってきた。スコセッシは、3人の親友たちによって自分の名が呼ばれたこと、彼らからその像を受け取ったことを心から喜び、短いスピーチでは興奮を隠すこともしなかった。スコセッシが歓びを表現しているとき、カメラは客席最前列にいるディカプリオをアップで映した。彼は笑顔だが、涙を流し喜んでいる(彼自身は期待された主演男優賞をこのときまたしても逃すわけだが)。

すべてが「お決まりのハリウッド流」だが、それを堂々と演出し、各キャストが真摯にこなしていくことに素直に感動する。さらに、スコセッシが像を手に、コッポラ、ルーカス、スピルバーグらとともに舞台袖に去っていくと、中継ではふつうならそこでカットが代わり司会者が映されるか、あるいはCMになるのだが、このときカメラはスコセッシの背中を追い続ける。すると、袖のところにはもうひとりの盟友にして名優のジャック・ニコルソンが満面の笑みで待ち構えていて、がっちりスコセッシを抱きしめるのだ。見事な「ハリウッド・エンディング」!

長年受賞を待ちわびたマーティン・スコセッシ。長い受難のときの果てに、ついにオスカーを手にした。そしてこの後スコセッシはさらに、もっと自由に、もっとこだわり、自分が納得する映画作品を撮り続けていくのである。

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