THE BACKGROUND OF “THE IRISHMAN” vol.01
スコセッシ、デ・ニーロ、パチーノ。
遂にクロスしたレジェンドたちのキャリア

Netflixで現在配信中、来たる第92回アカデミー賞で作品賞最有力とも目されている映画『アイリッシュマン』。そのバックグラウンドをひもとく連続コラム第1回は、本作で遂に一堂に会したマーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノという3人のレジェンド、絡み合うそのキャリアを振り返る

ILLUSTRATION: SHOJI NAOKI
TEXT: IMAI EIICHI

オスカー大本命の傑作映画、
『アイリッシュマン』に集結した3人

アメリカでは早くも、第92回アカデミー賞(授賞式は2020年2月9日)の「大本命」という声が上がっている映画、『アイリッシュマン』。

この映画をひと言で表現するなら、「必見の傑作!」ということになるだろう。「オスカー大本命」というキャッチコピーに偽りはない。それどころか、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、撮影賞、脚色賞、視覚効果賞、作曲賞などなど、主要各部門を独占する可能性もある。

20世紀アメリカのリアルな影と(実話である)、その影の中に実在した人々の生と死が、ヘビー級ミステリー小説のごときタッチで描かれている。

アメリカ社会・政治の闇と、そこに蠢く人々の利権や地位への飽くなき欲望を描き出すクライム・ムービーでありながら、人間の心の奥底へと入り込むヒューマン・ドラマでもある。アメリカ東部のマフィア組織の暗躍を活写しているが、単純なマフィアものではない。これは、「人間の物語」である(そして、ユーモアと温かさがある。暗い映画ではけっしてない)。

3時間29分という長尺をまったく感じさせないのは、ストーリーそのものの大いなる魅力(事実は小説より奇なりとはまさに)と、何よりも偉大なる監督の手腕、その監督のもとに集結した名優たちの演技、そして撮影や音楽、VFX、ロケーション、セットに至るまで、この作品に関わったすべてのスタッフのまさに「映画魂」の賜である。

そう、とてつもなく「映画魂」を感じる作品なのだ。監督スコセッシを筆頭に関わった人々の「傑作を作るのだ!」という執念を感じる。この映画の魅力や見どころについて語り出したら夜が明けてしまいそうだ。見終わった後に「誰かと語りたくなる」そんな類いの映画でもある。

そんなわけで、いろいろ語りたいことが尽きない個性的な映画なのだが、ここではこの作品を傑出したものにしている3人の人物にフォーカスしようと思う。監督のマーティン・スコセッシ、主演俳優のロバート・デ・ニーロ、そして、助演俳優のひとりアル・パチーノである(もうひとりの助演俳優ジョー・ペシこそがオスカー助演男優賞に輝くと思うが、ここではアル・パチーノについて語ることにする)。

スコセッシとデ・ニーロ、
リトル・イタリーの少年時代

マーティン・スコセッシは1942年、ロバート・デ・ニーロは43年、ともにニューヨークのダウンタウンで生まれ育った。スコセッシはシチリア系イタリア移民の息子で、デ・ニーロも名前でわかるとおりイタリア系の血をひいている(デ・ニーロはアイルランド人の血もひいている。『アイリッシュマン』では、イタリアに長く従軍した過去を持ち、イタリア語を話すアイルランド系アメリカ人を演じている)。同じルーツを持つ同世代のふたりは、少年時代に街角で出逢い、友情を育んでいった。アメリカの映画雑誌『EMPIRE』2019年10月号に掲載された映画『アイリッシュマン』のための特集記事の中で、デ・ニーロはすでに広く知られたふたりの出逢いについてこう述懐している。

「10代の頃からお互いのことは知っていた。私もマーティもリトル・イタリー界隈にいる少年だった。それぞれ属しているグループが違ったんだが、あるとき、互いのグループを行き来する共通の友人が私とマーティを引き合わせてくれた。私はその頃すでに、俺は役者になるぞ、と周りに触れ回っていたし、一方マーティは映画監督になるための準備を始めていた。だから私はマーティに興味津々だった。20代になり、あるとき私とマーティはクリスマス・ディナーの席で一緒になった。彼が『ミーン・ストリート』を撮ろうとしていることは知っていた。どんな役でもいいからそこに出たかった。マーティが私に、どの役をやりたい? と訊いた。主役のチャーリーというチンピラはハーヴェイ・カイテルに決まっていた。それで私はジョニー・ボーイの役をやることになったんだ」

1973年公開の『ミーン・ストリート』は、マーティン・スコセッシの最初期監督作のひとつで、彼が映画界から一目置かれるきっかけとなった作品だ。この映画でロバート・デ・ニーロは全米映画批評家協会賞の助演男優賞を受賞、期待の若手俳優として名乗りを上げた。

実はこの映画の多くのシーンは西海岸ハリウッドのセットで撮影されたのだが、ニューヨークが舞台の物語だったことと、スコセッシが(そしてデ・ニーロ、カイテルなど俳優陣も)ニューヨーク出身だったことから、マーティン・スコセッシは「ニューヨーク派の映画監督」として語られるようになる。以降もスコセッシはニューヨークを拠点に多くの映画を撮っていく。デ・ニーロもまたニューヨークを舞台とした映画に数多く出演する。ふたりは、ウディ・アレン同様、生粋の「ニューヨーカー」であり、唯一無二の摩天楼を愛する映画人なのだ。

1976年公開の『タクシードライバー』は、スコセッシ、デ・ニーロの人生を大きく変えた映画だ。「映画史に残る傑作」でもある。第29回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)を受賞し、スコセッシもデ・ニーロも一躍世界が注目する映画人となった。ベトナム戦争の帰還兵で、ニューヨークという大都会で孤独に生きるタクシー運転手トラヴィスを演じたデ・ニーロは、「狂気の天才役者」ぶりを世界に見せつけている。その狂気を武器として、アメリカの現実に切り込み、病んだ社会をあぶり出したマーティン・スコセッシの演出も見事だ(そして、若きポール・シュレイダーのすばらしい脚本!)。この映画は、「アメリカン・ニューシネマの名作」として今も語られている。

1/2

NEXT:アメリカン・ニューシネマの時代。若手人気俳優から個性派の名優へ