FROM EDITORS「一本の水平線」

画家の岸田ますみさんの展覧会「水平線から」に出かけた。岸田さんは2014年に他界されたイラストレーター安西水丸さんの夫人だ。1941年生まれの岸田さんと1942年生まれの安西さんは、ニューヨークのThe Art Students League of New York時代に出会い、アメリカンフォークアートの影響を互いに受けながら、安西さんはイラストレーションの世界に身をおき、岸田さんは画家としてガッシュやアクリル絵具の技術を磨いていった。

3年ぶりとなる岸田さんの個展は、新作の油絵25点を数えた。

波寄せる海岸近くの墓場や、寂寥とした丘に立つ一軒の小屋。午後の最後の時間、塔のように美しく輝く灯台、そして風が冷たく静かにススキの茂る荒池を渡る光景など、描かれた世界にはそれぞれ時間も場所も違っているのにどの油絵も同じ場所でパンしたようにそれぞれ違う角度で描いているように思える。見つめていると、岸田さんの世界に心動かされていく。

「この荒漠とした寂寥感、でも、なぜだろう、元気をもらえます」

絵を前に僕は岸田さんにこう伝えた。

すると、彼女は小さく微笑み、静かにこう答えた。

「いつかどこかで眺めたような、わたしの遠い記憶の中の水平線なんです」

そうか、この風景、そこに岸田さんが漂として立っている姿が目に浮かんだ。目を閉じ、その油絵の続きの風景を思うと、類打つ冷たい風を感じながら、たった一人で生きることを決めた堅牢さに圧倒されていく。

「わたしの目はいつもさまよっています。さまようわたしという風景は哀しみであり、喜びであるのです」

その言葉、旅を再び決意した彼女の意思に、僕はたくさんの勇気もらった。

「油絵は失敗しても塗り込めて、やり直せるからいいのです」

岸田さんが続けた。

「さまようように」

さまよう姿から、ガツガツと大地を踏み込むような確かな音が聴こえた。ふと、この油絵の下地に描かれた水平線は一本の堅牢な線で描かれていると気づいた。一本の線から物語が生まれていく。強く儚く、風が涙を枯らし、うっかりすると雲が形を変えていく。

スイッチ編集長 新井敏記