FROM EDITORS「舌の記憶」

コロナ禍の東京に地方から友人が訪ねてきた。知り合いが近くで飲食店を開店したのでそのオープングを祝いにやってきたと言う。おめでとうとは口に出したが、パンデミックな中でたいへんな船出だと、心意気を友人とともに祝った。

翌日、友人は帰る前に浅草の蕎麦屋に行きたいと言う。偶然彼女のライブを見にきて感動した客が、東京に出てくることがあれば、ぜひ立ち寄ってほしいと請うたのだ。ただし誘った当人が店に出ている時間は午後の3時までだった。昼は付き合えないが夕食をそのまま浅草にして「初小川」で鰻を食べようと、友人に提案した。

タ方の5時、待ち合わせギリギリだったが、友人に美味しい人形焼きをお土産に持たせたくて、小走りで仲見世に立ち寄った。ほとんどの店はシャッターが下りて少し偶然とした。もしかしたら無駄足だったかもしれないと悪い予感が脳裏をよぎったが、浅草寺近くまで進むと、よかった、手づくりの人形焼き屋は店を開いていた。ただこの時間だからか、1個ずつ焼いている姿はなく、もう袋詰めになって売っていた。手焼きかと念のために訊くと、手焼きだと店員は言った。仕方なし6個入りを2袋買い求めた。気持ちを取り直し、近くの甘味屋に寄って豆大福を追加で買おうと思ったが、この時期大福も草餅も作っていないとぶっきらぼうに言われて、がっかりした。

仲見世は地元民のための店ではとうの昔になくなっていた。客が来ないから作らないという。売れ残りの無駄を出すわけにはいかない。間違っていないが、商人として正しくないと思った。ぶつぶつ言いながら「初小川」に向かった。録重の中と大、鰻の大きさは同じでご飯の量が違うと教えられた。焼きあがりも早く、脂が乗った鰻は美味しく、立ち上る煙も服についた匂いも気持ちを充たしてくれた。何よりお会計の時に「現金のみなんです」と女将に言われたのが嬉しい。インバウンドの客を相手にせず、タレを継ぎ足すようにこつこつと百年以上、いくつも冷たい戦争があってもここにあるという商人の心意気を強く感じた。

余談だが、家に戻って食べた人形焼きはその焼きの甘さにこれが手焼きかと、がっかりした。客の舌の記憶を商人はバカにしてはいけない。

スイッチ編集長 新井敏記