インタビュー、紀行文、出会った人々。
 
SWITCH・Coyote編集長 新井敏記が
 
一つひとつ綴っていきます。

 

2020.5.20 望月までは後2日

松本隆さんの取材を行ったのが4月6日だった。その日、神戸は晴れていて、青い空に風が桜の花びらを美しく輝かせていた。翌日、松本隆さんのインスタグラムにはこう記されていた。「雑誌switchの取材。新井さんと初めて会ったのは原宿の写真スタジオで、そこに向かう途中の狭い路地を歩いていたとき、聖子の天国のキッスのサビの部分の詞を思いついた。でも調べてみたら、天国が83年で、switch創刊が85年なんで、switchの前から彼を知っていたのだね」

原宿のスタジオで松本隆さんにお目にかかったのは実は2回目となる。雑誌「POPEYE」の「微熱を抱えた少年たち」という連載で、僕がはっぴいえんどのメンバーと彼らが在籍していた風都市のスタッフを取材していた時のこと。連載は83年7月25日から9月25日までの5回。その中の回で作詞家松本隆さんの73年から83年までの10年回の軌跡を取材したのだ。当時松本さんが作詞したシングル盤をスタジオの床全面にひいてその上で寝ていただき、俯瞰で写真を撮った。

松本さんと最初にお目にかかったのは82年夏のことだ。「ISSUE」という僕が出していた個人雑誌のインタビューを丁寧に受けていただいた。はっぴいえんど解散以降の作詞家に至る天国と地獄の話を彼は淡々と話していった。

「この10年言いたいことはほとんど変わっていない。愛することとわかり合うということは難しいっていうこと」

その時松本さんから『風のくわるてつと』という本をいただいた。彼のことばの原風景をたどるエッセイ集だ。

神戸の取材の最後、持参したその本にサインをいただいた。彼の筆致を目で追いながら、松本隆70歳、次はいつ会えるのだろうかと思った。松本さんは次のインスタグラムでこう記していた。

「寂しい春がもう散り始めた。仕事も一区切りついたので、しばらく引きこもります」

この夜は十三夜で満月まで2日、ふと

願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ

という、西行の歌が浮かんだ。

スイッチ編集長 新井敏記