インタビュー、紀行文、出会った人々。
 
SWITCH・Coyote編集長 新井敏記が
 
一つひとつ綴っていきます。

 

2021.8.20 鉄線の胸毛

相撲をはじめて生で見たのは5歳の時、地方巡業が地元近くで行われ、相撲好きの祖母に連れられていった。お寺の石垣の上の境内に土俵が作られ、ぼくたちは下から見上げていた。

祖母のご贔屓は初代の若乃花だった。いつも相撲がはじまるとテレビの前に座って声を出して応援していた。その頃の祖母の関心はもっぱらプロレスと相撲のテレビ観戦だった。

巡業の取組の勝敗に一喜一憂する祖母の傍で、ぼくは一人のカ士に目が釘付けになっていた。その大きな体は全身毛むくじゃらで、眉毛も太く、まるで鬼のように見えた。カ士の名前を祖母に聞くと、「朝潮」と言った。

取組の前半が終わって、先輩の上位力士が若手に稽古をつける時間となった。「ぶつかり稽古」と祖母は言った。何組かの稽古の後、朝潮が土俵に立った。受け手のカ士が体当たりで向かってくる後輩カ士に胸をかす。突進するカ士を土俵中央で受け止めてそのまま俵に足がかかるところまで押されて押し返す。そして転がす。この動作を何度も繰り返していく。すぐに後輩カ士は肩で息をしてくる。朝潮にぶつかっていくカ士の額に血が冷んでいった。朝潮の胸毛に額が擦れて血が出たのだ。なんという硬い毛なんだと思った。朝潮の胸毛は鉄線のように武器になると驚いた。

稽古が終わり、上位の取組が行われていく。初代若乃花も栃錦も登場し、祖母はご満悦だった。取組後、カ士とのふれあいの時間があり、祖母は若乃花を歓迎する輪に、ぼくはずんずんと朝潮に近づいていった。巨人だった。背伸びをしておずおずと彼の背中に触った。振り向きざま朝潮は「どうだ、硬いだろう」と自慢した。僕の掌には彼の鉄線のような毛の感触が残っていた。筋肉を自慢するように朝潮は僕に二の腕を触らせ力を入れてコブを作ってみせた。印象的だったのはその筋肉ではなく声だった。太くなんだかテレビで見るプロレス中継のジャイアント馬場のような声だった。朝潮はジャイアント馬場だと思うと妙に納得した。

祖母は帰りしなに「お相撲さんはいい匂いがするね」と、愛付け油の匂いに惚れ惚れしていた。朝潮が第四十六代目の横綱になったのは翌年の1959年のことだった。この年3月に創刊された少年マガジンの創刊号で朝潮は表紙を飾っていった。

スイッチ編集長 新井敏記