Travelogue CYPRUS「キプロスへ 」特別版 前篇

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2019年2月19日(火)

中東の険しい雪山を超えると徐々に緑が見えはじめた。ドーハから4時間、飛行機が高度を下げ旋回し始めると、眼下には真っ青な海が広がった。まるで宇宙を逆さにした様に、一面に光の粒が弾んでいる。雲が、海と陸の境を超えて、島に光と影を映す。もうすぐキプロスに着く。

飛行機を降りるなり、私は初めての海外旅行のようにシャッターを切った。入国カウンターに進むと出稼ぎと思われるアジアの人たちが長い列を作っていた。空港は思っていたよりずっと清潔で、裕福なことに驚いた。外に出ると空は真っ青で、立ち並ぶ椰子の木の下でサングラスに半袖の格好をしたバカンス客らしき男女が車に乗るところだ。日差しが夏のように容赦ない。

空港から街まではマイクロバスで移動する。ひょんなことからツアーに参加することになったのだ。小柄な日本人の女性がガイドだった。運転手のディミトリスさんは後ろ髪が鳥の羽のようにクルクルと巻かれた恰幅の良い人だ。

糸杉が並ぶよく整備された道を10分ほど行くと、塩湖が見えてきた。椰子の木の向こうの湖畔にモスクが見える。「この季節になると湖にはナイル川やトルコ、ロシアからフラミンゴが渡ってきます。フラミンゴは海水の中のブライアンシュリンプという海老を食べれば食べるほど赤くなります。もうすぐ見えてきますよ。」とガイドの祝子さんが言う。モスクを過ぎるとフラミンゴが水面に点々と立っていた。空港がある街ラルナカは、キプロス紛争が起きた1974年までは、海沿いの小さな町だったが、南北分断をきっかけに多くの移住者がやってきて、今ではキプロス共和国3番目の街となった。イエスの友人だったラザロスが二度目の死を迎えた所で(一度は生き返った)、聖人の伝説は街の代名詞のようになっている。石造りの建物が囲む静かな広場に面した聖ラザロス教会を訪ねる。東向きの窓から薄く光が射す堂内で、男が静かに祈りを捧げていた。

昼ごはんは海沿いのレストランでフィッシュメゼという魚料理をいただく。ギリシャ風サラダとオリーブ。ヒヨコ豆、魚卵とポテト、ゴマ、3つの味のペーストに白いパン。そのあとは次々と海のものが続く。魚のフライにはコリアンダーが添えられ、テーブルには半分に切ったレモンが皿に盛ってある。デザートにはアナリチーズを使ったパイ、粉を沈殿させたキプロスコーヒーが登場する。すでに何日分も食事をしたように満喫した。

私はガイドの祝子さんと運転手のディミトリスさんに切手収集帳を持って話しかけた。収集帳には2ページに渡り、あの少女の切手40枚、隣のページには地中海ブルーの3枚一組みになったイコン画の切手を収めていた。どれも1970年代から80年代のものだ。「この少女の切手は島の南北分断以降、キプロス共和国で今も続いている難民支援の寄付切手。こちらのイコン画は詳しくはわからないけど、ガラタという村の教会のものではないかしら。」と聞く。ガラタ村のイコン画は他に比べて繊細な画風らしい。ディミトリスさんは寄付切手を眺めながら、「あの時は9歳だった。よく覚えている。」と言った。「ところでどうして君にとってキプロスは特別なの?」と訊かれたが、私は何も答えられなかった。

高速道路を使い首都レフコシアへ向かう。この冬、島にはよく雨が降り、どこも水害の工事が終わったばかりらしい。車窓からは植林された山が目立つ。何百年間の戦争で省みられなかった山だそうだ。まだ背の低い木の間には小さな黄色い花が群生している。世界で唯一分断された首都レフコシアには、1567年にヴェネチア人が築いた城壁が、今も南北に渡り残っている。キプロスの歴史は1万年以上と言われるが、分かっているだけでも、紀元前のミケナイ人の植民から始まり、古代ギリシャ、ローマ帝国、ビサンチン帝国、フランク王国、ヴェネチア共和国、オスマン帝国、イギリス統治時代と様々な民族がこの島を翻弄した。もっと遡れば2000万年前、海底火山が水面に顔を出し、トロードスの山々が生まれた。島はアフリカ大陸のプレートが動くたびに今も移動している。

バスを降りると旧市街の入り口だった。城壁から中に入ると入り組んだ路地に、土産物屋やレストランが立ち並び、話し声が響いた。人がぎりぎりすれ違うほどの狭い道を、黒い服を着たギリシャ正教の宗教者が行く。丸い目をした少年たちが辻でサッカーをしていた。

少年たちの辻を超え、たわわに実をつけたオレンジの街路樹まで辿り着くと、メインストリートのレドラ通りだった。歩行者天国なのか、人も猫も安心しきったように歩いている。しばらく行くと突き当たりに南北の境界線が見えた。突き当たりと言っても道は続いていて、ゲートを越えれば、この数メートル先はトルコ系住民が住むエリアになる。今は紛争で危険というわけでもなく、外国人はパスポートさえあれば行き来できるようになった。野良猫たちは伸びをしながら南北のゲートを行き来していた。

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