FROM EDITORS「モロゾフのプリン」

休みを使って押入れの整理をした。1日1箱の整理、分厚いファイルを取り出すと、1枚のハガキがこぼれ落ちた。35年前に送られてきた小松崎茂の絵画のグループ展の案内状だった。小松崎さんは空想科学や冒険物を得意とした漫画家でもあった。漫画雑誌「少年画報」に掲載した「地球SOS」で人気を博し、「少年ケニヤ」の山川惣治と並んで冒険活劇漫画の雄をなしていた。二人の存在はまるで戦艦の「大和」と「武蔵」のようだと子供の頃は思っていた。特に僕は映画化された『マタンゴ』の小松崎茂デザインに憧れ、お小遣いをためては田宮模型の小松崎茂の箱絵に魅かれてまさにジャケ買いをしていった。時々漫画雑誌に掲載された戦艦や軍用機の内部図はまさに精緻を誇るもので想像力を駆り立ててくれた。

1984年に発売された南佳孝の『冒険王』のアルバムジャケットが縁で小松崎さんに知己を得た。『冒険王』にならって、SWITCHで小松崎さんに描き下ろし漫画のお願いをした。最初のご挨拶に千葉のご自宅に伺った時に、前の客のおもたせだと、モロゾフのプリンが瓶のまま出された。自分で瓶を逆さにして皿にあける。ドロっと後からキャラメルが溶け出る。この食べ方が小松崎さんはとても好きだと笑った。描き下ろしていただいた「地球SOS 1984」は筋が長くなり三回ほど続いた。原稿は毎回ご自宅まで受け取りに伺った。僕は毎回モロゾフのプリンを持参した。

「おもたせで申し訳ありません」小松崎さんは微笑んで夫人の名前を大きな声で呼ぶ。「まさこさん、お皿持ってきてください。モロゾフのプリンです。一緒に食べましょう。スプーンも3つください」

小松崎さんのモロゾフのゾフを強調して言う少し高い語り口がおかしかった。そして彼はプリンに付いているプラスチックの小さなスプーンが嫌いだった。1日何個彼は食べるのだろう、まるまるとした小松崎さんの体躯はプリンでできていたのかもしれない。

「モロゾフはロシア革命の時に逃れてきた一家です」そう言うと、ずり落ちたメガネなどお構いなしで小松崎さんは蕎麦のようにプリンをかきこんでいった。なんだかその一言でプリンが特別なものに感じた。明るい博学を受けるこの時間が好きだった。以来僕も小松崎さんにならいプリンにはスプーンをつけてもらうことはなかった。

今1枚の少し黄ばんだハガキが懐かしく、一筆啓上された文字はプリンをかきこむ小松崎茂の身体のように豪快に踊っていた。

スイッチ編集長 新井敏記