鋤田正義×デヴィッド・ボウイ | 写真と音楽の共犯関係 / SWITCH Vol.34 No.8

写真と音楽の共犯関係



写真家・鋤田正義は1972年から40年以上にわたって続いたデヴィッド・ボウイとのフォトセッションの現場でほとんど言葉を交わしたことがないという。それでも2人は感性と美学を共有し、音楽史に残る素晴らしいポートレイトをいくつも生み出した


PART2
時代を超えた写真。言葉を超えた信頼

「鋤田の仕事なら任せる」
揺るぎなきボウイの姿勢


 七〇年当時はロックの写真といえばミック・ロックしかりステージ写真や屋外で撮られたものが多かった。対して僕がボウイを撮った写真はスタジオが多い。スタジオだと場所や時代が写りにくい。でも説明がない分、時を超える強さを持つ。それが多くの人によく「鋤田のボウイの写真はずっと古びない」と言われる所以なのかもしれません。

ただ、スタジオで撮ることが必ずしもベストだと思っていたわけではない。そこは屋内も屋外も一長一短ある。スタジオが多かったのは単に効率。本当のチャンスとは多忙ななかで割いてもらった数時間のうちの一瞬でしかない。スタジオなら設備を万全に整え、無駄なくその一瞬を追うことに集中できるからだった。

 彼をスタジオで撮る時は、時折レンズを変えながら、基本的には毎回同じような距離感で正面から向かい合うことが多かった。だから殊更ストレートな強さを持つ写真になった。時代や説明が写らない分、顔というか表情や髪型や皺に全てが刻まれる写真になる。それが良いのかどうかは常に葛藤があった。だから一九八〇年の来日時に、丸一日をかけて京都の街中でボウイを撮れた時には「これで屋外はよし」と、とりあえず自分を納得させることができました。

 一九九二年に上梓した『氣──デヴィッド・ボウイ写真集』は、当初僕のなかで東洋と西洋のセッションだという意識が強かったので、仮タイトルが「フォト・セッション」だった。でももっとしっくりくる日本語は何だろうと考え、「氣」という言葉を彼に提示した。

僕は撮影の時も、密着(=コンタクトシート)からカットを選ぶのも直感重視だったから。彼がどう理解したのかは知らないけど、タイトルの『氣』も通り、写真について注文もなかった。常にどこか「鋤田の仕事なら任せる」というスタンスでいてくれていましたね。





※ 全文は 本誌 でお楽しみください

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